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本論文は壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮侵略)を取り扱っている日本の軍記である朝鮮軍記物に焦点を当て、朝鮮軍記物がどのように展開されてきたかを究明し、その特徴をとらえようとしたものである。 初期には壬辰倭乱の参戦者や従軍僧侶らの体験や見聞による短編的な武勲談、日記などの様々な記録が現れた。その後、江戸幕府が情報を統制している状況の下で、民間レベルで初期記録類を総合して、いわゆる朝鮮軍記物を作り出した。 朝鮮軍記物は概ね次の三段階をへて成立したと思われる。第一段階は、小瀬甫庵の『太閤記』によって、日本で始めて壬辰倭乱七年間の全体様相が整理された。第二段階は、堀杏庵の『朝鮮征伐記』である。これはもっぱら壬辰倭乱だけを描いたもので、そこには中国側の記録が流入されて使われている。第三段階は、1695年京都で朝鮮の『徴毖録』が刊行されてから、名実ともに朝鮮軍記物が完成される。 その結果、近世日本は同時代の朝鮮や中国より客観的な理解が可能になっている。しかし、朝鮮軍記物に内在されている事実性の追求と日本中心的な視角という矛盾した様相は、後の明治日本の壬辰倭乱に対する認識や研究に受けつがれている。
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