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本稿の目的は巻三一·23の寺院確執説話を中心にして『今昔物語集』の成立と深い関係を持つ王法·仏法相依理念から説話を読み直すことにある。そこで、まず多武峯が比叡山の末寺となる話を他の資料も参照しながら内容を理解し、藤原道長の役割に注目してこの話における王法仏法の関係を明らかにし、最後に他の寺院間の確執説話にも同じ理論が適用できるかどうかを確認した。僧兵·強訴にたいする『今昔』の態度は、大抵の場合まるで傍観するかのようで特別に非難することがなかった。その理由を考える上で、手掛かりとなったのは「今」を末法と認識しながら本朝仏法史を繁栄の歴史として叙述している点である。末法だからこそ仏法の永遠性と繁栄が再確認されるように、僧兵·強訴に関しても『今昔』は非難と悲嘆の代わりにある種の宣言をしようとしたのである。そしてそれは「公」「王法」の権威に求めなければならない。そもそも僧兵·強訴が各大寺社の自分の権益のため行われ、それを統合できるのは、それ自体権門でありながら一歩離れている「王法」しかなかったことを考えるとこのような『今昔』の意図は必至であったといわざるをえない。『今昔』の意図は朝廷·王によって正当化された法末寺化の経緯を述べることによって、現実の社会不安と無秩序を無化しようとしていると理解される。
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