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賀川豊彦と「イエス」─明治期のキリスト教社会主義とのかかわりについて─

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Kagawatoyohiko and Jesus

尹一

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大正期のキリスト教の牧師であり、キリスト教社会主義運動家であった賀川豊彦(1888年~1960年)は、彼の代表的な作品である、三部作である『死線を越えて』を残しており、これは大きく世評を呼んだ当時のベストセラーであった。賀川の「自伝系の小説」として分類され、賀川本人と見なされる『死線を越えて』の主人公新見栄一は、公娼制度の廃止、勞働組合の結成、貧民問題など、あらゆる社会問題と戦って行く自称「基督教社会主義者」であった。一方、明治期のキリスト教社会主義者と知られていた木下尚江も『火の柱』の主人公篠田を通して、彼が抱いていたキリスト教社会主義思想をあらわしていた。ところで、明治期から大正期にわたって続いていたキリスト教社会主義、木下と賀川に対する比較研究があまり見られなく、作品における文学的評価はともかく、当時の思想界に強い影響力を持っていたことは否定できない。両者のキリスト教社会主義運動の違いと類似点を本格的に探ってみることは、両者の比較研究における第一歩であろう。 本研究を通して確認した主な内容は次の通りである。大正期のキリスト教社会主義は、明治期の「基督教社会主義」に見られたような、社会主義の為に「福音」における<犠牲>の理論を展開することで終わるものではなく、その「福音」思想における<奉仕>として、社会問題を解決しようとする動きが、大正期の社会運動家によってより多く見えたと思う。キリスト教社会主義者木下が<十字架>に見られる<犠牲>の理論のみによって社会主義社会の建設を進めていた反省の形が、大正期の賀川などの社会運動家などにおいて、「十字架の実行」という「無産者」の「解放の福音」としてあらわれることになったと思う。また『死線を越えて』の栄一が述べていた「基督教社会主義」は同じく明治の「キリスト教社会主義者」として、木下の『火の柱』における篠田が社会問題の解決のため社会組織や社会制度を破壊することではなく、いわゆる無抵抗主義的「イエス主義」によって、社会問題の解決を試みたところに明治期のキリスト教社会主義との違いがあったと思う。そして、キリスト教における原罪の贖罪の教理としての十字架より、人間の実生活に密接な関係を持つ<十字架>として強調し、人類を罪から救済するイエス·キリストの福音が、「人類福祉の絶対福音」として「無産者」の為に「新経済学」の「福音」に変えられているところに、貧民の福祉事業につとめていた社会運動家賀川の性格がよくあらわれていたと思う。が、ナザレの大工「イエス」を日本の「無産者」を代表するものとしてみ、彼らの「イエス」が「個人」より「社会」全体を、また「亜細亜人」の「パン」を象徴するものとみていたところに大正期のキリスト教社会主義の特徴があったと見られる。

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  • 尹一 윤일. 대구대학교 강사

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