원문정보
초록
일본어
芥川文学の女性表象に関する研究の特徴は、作家の伝記と文学との相即的解釈と作品に登場する女性の性格を<悪の源泉>と見なそうとする傾向にある。しかし、芥川は誰よりも、小説の素材を作者の体験に求め実生活の赤裸々な告白をよしとした自然主義文学とは対極の位置に立って、小説を技巧の芸術と見、理智によって現実を再構成しようとする創作の方法を固執した作家である。したがって、芥川の女性論を考察する場合、このような作家的姿勢と方法に即さなければならない。 その意味で本論文では初期習作である戯曲『青年と死と』を中心に、芥川文学の作品の内部での女性表象を考察してみた。『青年と死と』の女性たちは自己の性を道具として宗教的な真実を追求しようとする二人の青年を積極的に<無意味>で<欺罔>な世界へ誘惑する。女性たちは男性の真実の生の追求において、邪魔な存在であるにとどまらず、利己的発想から積極的に彼らを悪の世界に導く存在となっている。 このような女性表象は、『青年と死と』の執筆前後の翻訳の作品、『バルタザアル』と『クラリモンド』の女性表象と似ている。この二つの作品でも女性は宗教的真理を求める求道者を<快楽>の世界へと誘惑する障害になり、克服しなければならない存在として表象されている。このような女性表象は『青年と死と』だけでなく、『ひよつとこ』『羅生門』『芋粥』『猿』などの、少なくとも初期の芥川文学を貫く特徴となっている。そのような女性表象が初期作品から見えるということは、吉田弥生との恋愛失敗という作家の実生活と作品の女性表象は直接的には関係がないという証拠になる。すなわち、吉田弥生との恋愛の失敗が女性を利己的で否定的な存在として認識させたのではなくて、逆に読書世界で体験した西欧のキリスト教的な女性認識が、その作品の主人公とほぼ同じ年齢(二二歳)であった青年作家芥川をして吉田弥生との恋愛の失敗を媒介にして女性の利己的で否定的な側面を認識させていったのだと思われる。しかし、西欧作家のキリスト教的女性観は男性中心主義から来たのであり、日本の近代国家形成期には良妻賢母思想の形で天皇制家族主義を支えるイデオロギーとして流布され利用されたものである。芥川はそのような事実には無批判的であったことがわかる。