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本論考では壬辰倭乱に対する『絵本太閤記』の叙述様相を考察した。『絵本太閤記』において壬辰倭乱の目的は、戦国時代に絶たれた朝鮮の服属を'再開'し、明を征服して豊臣秀吉が明の皇帝になって、日本の武威を異国に輝かすことであったと叙述されていることが分かった。この二つの目的中、豊臣秀吉が明の皇帝になるとの目的は、淀君·石田三成·小西行長の不忠によって挫かれたが、朝鮮の服属を再開するとの目的は、豊臣秀吉に忠誠であった北政所·加藤清正によって実現され、しかも加藤清正は仁義をもって朝鮮人を感化し、彼らをして朝鮮政府より日本を選択させることとなって、日本の武威を異国に輝かすとの目的は達成されたと叙述している。そして、この過程で加藤清正は豊臣秀吉と同一、または彼より優越な人物として叙述されるに至ったのである。豊臣秀吉の寵愛の中で成長した加藤清正は、『絵本太閤記』の壬辰倭乱記事の以前にもすでに卓越な武将として敍述され、二篇巻之一に「加藤虎之助之伝」の独立した行状があるほどであり、壬辰倭乱記事になっては、明を征服しようとする豊臣秀吉の意図に従って朝鮮の国境を越えて兀良哈と戦い、仁義をもって朝鮮人を感化させるなど、日本の武威を異国に輝かすとの豊臣秀吉の目的を朝鮮で実際に行った武将として敍述され、遂には日本·朝鮮の両国で神(孫)としてまで崇拝されるに至ったのである。 戦争直後に成立した短篇的な作品を綜合して七年戦争の全体像を最初に提示した『太閤記』と、明側の記録を受容した『朝鮮征伐記』の成立、そして戦争の舞台となった朝鮮で成立した『懲毖録』の流入によって、江戸時代の壬辰倭乱関係の作品は量的·質的に豊富になった。そしてこれらの集大成とでもいえるような『絵本太閤記』に至って、戦争の目的は何であったか、戦争の英雄は誰だったのか、などのことが以上のように提示されることになったのである。これは壬辰倭乱に対する江戸時代の認識の到達点であると同時に、豊臣家·加藤家の滅亡に対する日本人の同情と共感の集約であり、『絵本太閤記』の敍述を通して提示されたこのような観点は、'一種の英雄待望論'であるとも言えるであろう。『絵本太閤記』の壬辰倭乱記事は、壬辰倭乱と近世日本の文学·文化との関係様相の集大成となっているという点において意義があると同時に、江戸末期、ひいては近代以後にも影響力を持ちつづけているという点で、現在的な意味をも持っているのである。