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아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)의 문예와 계급 인식─「주유의 말(侏儒の言葉)」을 중심으로 ─

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Akutagawa-Ryunosuke's understanding of class and Literature─Mainly Syujy's words─

김효순

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초록

일본어

芥川が『侏儒の言葉』で、文芸と国家、あるいは文芸と階級の関係を論じたのは、プロレタリア雑誌『種蒔く人』の創刊と有島武郎の「宣言一つ」等によって、文壇でも文芸と階級の問題が急浮上した状況であった。彼は当時の社会の現実に対して、軍国主義や帝国主義が虚偽的なイデオロギーを民衆の心に吹き込むことで、暴力で民衆を統制したり他の民族を侵略・支配していると認識した。このような現実に対する絶望は、関東大震災の際の自警団体験とそれに従う現実に対する徹底的な反省と認識から来たのだと思える。 しかし、芥川はこのような現実の状況の中で、イデオロギーの虚偽性や国家的暴力に対して、自分の文学で対抗しようとはしなかった。それよりも阿呆でも英雄でもない平凡な人間であることを選択し中庸を希求する。このような中庸への希求は国家・社会に対する透徹した認識の持主である芥川にとっては、美徳ではなく矛盾だらけの現実を生きていかなければならない<賢い処世術>に過ぎない。したがって、そのような自分に対する認識は、「わたしは良心を持ってゐない」という自責へとつながり、そのような自分の姿を軽蔑して<侏儒>と呼ばざるをえなかった。国家・社会の不条理に気づいていながら、実践には限界を感じ、逃避的ともいってよい中庸的生の態度を志向せざるをえない自分を嘲笑的自虐的に<侏儒>と規定したものであった。 芥川はそのような自分の文学と、現実においての限界との原因を中流階級という自身の所属階級に返した。彼はプロレタリアでもなく、ブルジョアでもない中流下層階級に属しているという自覚から、社会主義の思想に対して、同調とともに不安や責任を感じているが、なんらの実践にも踏み込めない以上、「僕等は時代を超越することは出来ない。のみならず階級を超越することも出来ない」と述べ階級的限界を吐露するしかなかった。 このように『侏儒の言葉』は、当時の日本社会の状況と関連して文学と階級の関係を述べるにおいて、自分が志向した文学が実践できなかった自分自身の自画像であると同時に、そのような自己への、まさに自己批判だったのである。

목차

要旨
 1. 들어가며─『주유의 말』의 집필시기의 문단상황─
 2. 본론
  2.1 일본의 군국주의 및 제국주의의 허구성과 폭력성
  2.2 중용을 희구하는 <주유>
  2.3 출신 계급에 대한 인식에서 오는 한계
 3. 맺음말─아쿠타가와에게 있어 문예와 계급의 의미─
 참고문헌

저자정보

  • 김효순 고려대학교 강사

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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