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本稿は近世日本儒学に関する先行研究から見られる特徴を「日本的な儒学の創出」という視角でまとめてみたものである。近代以後、長い間通説として認められてきた徳川幕府の体制イデオロギーや幕藩体制の封建教学としての朱子学という歴史的な評価が戦後日本思想史研究の展開や変遷とともに否定されつつ、また一方では古義学や古文辞学の形態で展開された日本古学派の学問と思想を表象した日本的な儒学という新たな儒学イデオロギーが登場してくる過程を確認した。特に十八世紀の日本古学派は近世日本社会で政治的かつ社会的な有効性を掲げながら為政者たちに接近した。その過程で彼らは十七世紀の儒学界を主導してきた朱子学を根本から否定する思想闘争の姿勢を取り,また同時に原始儒教へ回帰しようというスローガンの下で自分達が再構成した古学派を近世日本社会にもっとも適合する学問や思想であると唱え立てた。ただこのような日本古学派が主張した適合性が近世日本社会にどれ程受け入れられて活用されたかは疑問である。少くとも近世日本朱子学の歴史的な役割と比べる限りはそう言える。にもかかわらず戦後日本思想史研究では古学派の学問と思想を中心として近世日本儒学史が語られてきた。そして一九六〇年代以降次第に復活する伝統思想とともに昂揚した日本的な特殊性、いわゆる日本特殊論の盛況する最中に築き上げられた言説が「日本的な儒学」論である。二〇世紀末の先行研究には近代思想の萌芽としての古学思想と日本的な儒学としての古学思想がまるで相互矛盾せずに通説として共立している。このように戦後日本思想史研究が築き上げた古学派像を換言すれば伝統思想を再創出した古学派イデオロギーでもあった。問題はその古学派イデオロギーを支えた土台が十七世紀以降の日本朱子学であったし、また学派としての古学が十八世紀に自己分解したことに比べても朱子学は近代まで学派と思想として生き延びたことである。それゆえ古学派の学問や思想を日本的儒学として表象した戦後日本思想史研究が意図したものや歴史的意義を確認してみることも重要であろう。
목차
1. 들어가기
2. 막번체제와 유학
3. 일본적 유학의 창출
4. 나오면서
참고문헌
