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초록
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漱石は明治38、9年頃自然主義文學の一色である明治文壇を重く受け止めていた。それで反ー自然主義的な作品を書くようになる。「一夜」も反ー自然主義的立場から執筆されるが、初期モダニズムの実験性をもっともよく具現している。また破片化、相互テキスト性、メタフィックションなどの観点から思うとポストモダニズム的読みも可能であると思い、それを試みた論文である。要するに、漱石は以前時代を引用しながら次の時代を夢見ていたと展望したのである。 「一夜」の読み方は大雑把に言えば二通りである。一つは「筋や脈絡がない」「歴史や性格を重視する今までの小説のやりかたをこわした反ー小説」「内容は曖昧で機智ばかり追う」「写生文又は俳句小説」といって「実験的小説」の側面のみを断片的に浮彫りにしている傾向であり、もう一つは「一夜」がそれなりに読めそうな小説作品だといった論理を揚げて三人の登場人物の性格や定位を規定しようとする傾向である。しかし、前者においては肝心の何を実験的に見せているかについてはほぼ無頓着である。後者もまたいかにもポストモダニズムの反発を買うようになる時期のモダニスト的な読み方を取っているような気がするのだ。それで筆者は従来の論旨とは反対側から「一夜」を読んでみた。 筆者は漱石が『18世紀英文学』に関する講義録を作りながら『猫』や『漾虚集』などの執筆に携わっていたことに重きをおき、当時漱石が方法的にもっとも関心を寄せていたL.スターンの『トリストラム・シャンディー』の小説方法に注目した。L.スターンは今日に至ってポストモダニズ厶的読みの可能な作家として新たに脚光を浴びている。従ってスターンとほぼ同じく「一夜」も登場人物の性格や役割を流動的に描き、従来重視されてきた時間の流れにそっての叙述順序などを無視しているため、今までの読み方と異るホストモだダニズ厶的読みを試みた。スターンがあべこべになった叙述順序を通して小説とはあくまでも虚構であり決して「人生」の一部でないといった点を強調しながら「人生」を一貫性のあるものとして秩序よく叙述するというのが不可能であることを主張したならば、漱石もまたこれをパロディー化する形で文学または小説を通しての「人生」の再現の可能性を極力否認したと思う。「彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである」「人生を書いたので小説を書いたのでないから仕方がない」といったことによって漱石は<一刻が永遠となる>という自分の考え方を貫きながら小説とは多様性と偶然性から点綴される人の生即ち「人生」をあるがままに表現するとしたらこのようになるのだということを見せてくれたのである。これはまさに小説でない小説を提示したものである。
목차
I. 들어가며
II. 모더니즘과 포스트모더니즘
III. 등장인물의 성격 및 역할 관계
IV. 포스트모더니즘적인 스턴의 문학과 관련하여