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초록
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本稿は井原西鶴の『本朝二十不孝』と江島其磧の『世間子息気質』の登場人物の比較研究により、二作の内容の関連性及び相違点を発見し、この意義を考察することを目的とする。まず、二作の序文により『本朝二十不孝』は「孝行の奨励」というモチーフの作品であることが予測できる。これに付け加え『世間子息気質』は「親の教育」という真新しいモチーフが見受けられる。 次に二作品の主要登場人物である息子の様子を比較分析すると、『本朝二十不孝』では息子は「悪人」として描かれ、『世間子息気質』では息子は「愚人」として描かれている。前者は天の因果応報を受ける悲惨な結末を向かえるが、後者の行く末はまちまちである。このように息子を「愚人」として設定する意義を明らかにすることが必要である。また、主要な人物として二作品共に親が登場するが、親は子に対する盲目的とまで言える一方的な愛を注ぐ。しかし、『世間子息気質』では5巻に進むにつれ、子に対して教育しようとする親の姿が目立ってくるのである。したがって、『世間子息気質』では「愚人」の息子及び「教育する親」の姿を浮上させ、「親の教育」というモチーフを用いて、現実的問題意識を提示したと理解される。これは、今までの『世間子息気質』の研究にモチーフの問題を浮上させる新しい試みである。
목차
要旨
1. 서론
2. 본론
2.1 서문에서 드러난 모티브로서의 「효의 장려」
2.2 『니주후코』와 『무스코 가타기』의 아들의 모습
2.3 『니주후코』와『무스코 가타기』의 부모의 모습
3. 결론
참고문헌
1. 서론
2. 본론
2.1 서문에서 드러난 모티브로서의 「효의 장려」
2.2 『니주후코』와 『무스코 가타기』의 아들의 모습
2.3 『니주후코』와『무스코 가타기』의 부모의 모습
3. 결론
참고문헌
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