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国体はGHQの「純粋なスポーツの復活」と「大衆化」方針によって、1946年誕生した全国的なスポーツ大会であるが国体開催には侵略戦争に協力した戦前神宮大会への郷愁と理念的・人的つながりがあった。戦前歴史の連続は、国体に「象徴天皇」と「日の丸・君が代」「天皇杯」などを登場させる。また、文部省が国体主催者に入ることによって、国体と日体協は国家体制に本格的に編入される結果となる。特に1950年第5回愛知大会は、冷戦の本格化、全面講和運動の昂揚、朝鮮戦争に対する平和運動など不安定な社会的環境の中で開催された。それゆえ、日本政府は愛知国体を通して現存の支配構造を強化し、国民国家再建を目指した。また、日本の独立に先駆けてナショナリズムの昂揚が図られたのである。さらに、戦後初期国体は日本スポーツ界が国際復帰することをきっかけに「競技力向上」という視点に政策が変化することによって、オリンピックをはじめとする各種国際競技大会に連動していった。その背景には敗戦によって分散していた伝統的ナショナリズムの喚起と統合をスポーツ大会、特に国体に担わせた政策目的があった。 この過程を経ながら戦後初期国体は国民感情昂揚に寄与しつつ、国力の再建・復興を目標に「戦後復興」と「民族再建」を集約的に表出し確認するイベントとして、またスポーツという平和の祭典を遂行する「新生日本」に対する国際的信用の回復を占う儀式・品評会として位置付けられた。
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