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もともとグロテスクとは、‘怪奇․不気味’と‘可笑しさ’という二つの性格を併せ持っている概念であるが、最近この概念は主に妖怪や鬼、物の怪などの超自然的な怪奇を指すものとして認識されているように見受けられる。が、文化、またはその文化を読み取る重要な指標である文学テキストに表れたグロテスク性を考察するとき、この二つの要素への均衡の取れた認識は必要であり、作品に表れた人物造型のグロテスク性に関する研究もまた、‘怪奇․不気味’と‘可笑しさ’という二つの性格を併せ持っているキャラクターに注目すべきであろう。 本稿は、『源氏物語』にこのようなグロテスク性を持っている人物がどのように造型(形象化)されており、さらにどのような機能を持っているのかを、末摘花物語を対象にして分析してみた論である。 日本の古典文学のテキストを分析したとき、人物造型のグロテスク性は異常出生、醜貌、異常行動という三つに分類できる。末摘花のグロテスク性は「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ」(「末摘花」․1․373頁」)という和歌や「古代」と「古めかし」という表現から分かるように、鼻先が赤い彼女の醜い鼻に代表される末摘花の醜貌や田舎びた態度、垢抜けていない服装、時代遅れの和歌趣味などをもって形象化されている。そして読み手にこれらの要素がグロテスク性として受けられるようになったのは、「荒れたる宿の姫君に恋する通りがかりの男君の物語」という昔物語の構図とのずれもまた一要因になっているように思われる。 このような末摘花物語の作品内的な意味としては次のように三点が指摘できる。「長き心」を持っている男性であるという光源氏の理想性を浮き彫りにしている物語表層においての意味、石長比売・木花之佐久夜毘売姉妹物語という神話との関わりから読み取られるように、光源氏がグロテスク的な醜女である末摘花と結婚することによって安定した地位を得るようになるというテキスト深層に内在している意味、そして末摘花物語が光源氏を始めとしたその時代の貴族社会を相対化することによって貴族社会の矛盾を批判し、結果的に『源氏物語』の理想的で優美(みやび)な物語世界を再照明させるきっかけになっているという点などがそれである。