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本稿は三好達治(1900-1964)の詩集『艸千里』と『一点鍾』を中心として彼の詩に現れた存在と時間の思索に関して考察したものである。その結果、次のような結論を得ることができた。 まず、「艸千里浜」と「海3章」の四篇には現実の自我を取り囲む達治の孤独と喪失感がもっと深くなる姿を見せた。そのことは以前の達治の詩で見られた存在の孤独と喪失感がやはり有效であるというメッセージを波浪状の高原を通して提示した。また鴎の登場する作品に達治は自分の姿を現そうと鴎を借用した。それからこのような鴎を通して現実脱出の意志,あるいは希望を抱いているのも確認することができた。 また「涙」「家庭」「一点鍾二点鍾」は達治の詩における自分の子息と家内との現実的交感を扱ったという点で意義があった。「淚」は血縁のつながりと生命に対する永遠性を考える深遠な想像力を広げた秀作で, 「家庭」は憂欝な日常的表現を除いて一定したトンを維持しつつ身辺のことを述べたという点で既存作品との差別を見せた。「一点鍾二点鍾」は詩人の哀想感が時間を貫いて永遠さへ昇華されていた。 このように達治の詩における高原と海は自分の存在意識を込めて思索した空間であった。そういう海で暮している鴎は達治自分の心境を仮託した鳥類であった。 子息の涙と家族の構成員を通して時間に対した思索をした詩人は自分の子供の時とは違っている安らかな家長を志した存在であった。従って、日本の近現代詩史に達治の残した力作『艸千里』と『一点鍾』は時間と空間を出入りしたり詩人との一体化を通して自分の存在意識を形象化した重要な詩的成果であった。