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초록
일본어
現在、男女の間の愛の意味として使われる<恋愛>という言葉は近代のはじめとともに<作られた>概念であり、新語である。明治時代の啓蒙家達は男女関係も社会や制度のように、野蛮の状態から文明の段階へ向いて進歩すると思い、新しい理想的な男女関係の規範を模索したのである。その中、『女学雑誌』は「文明の時代」に行われる男女関係は「色(肉体的接触)」ではなく「愛(精神的な交際)の時代」と規定し、男女が「同等」かつ「精神的」に付き合う近代的な男女交際を目指したのであった。しかし、『女学雑誌』の指向した「愛」とは啓蒙する男性と啓蒙されるべき女性の区別をはっきりしているため、そもそも最初から男女平等の交際とは無縁であったと言える。 「男女交際」の必要性が活発に論議されるなか『女学雑誌』は自由に男女が交際することによって男女の「両性の美質」を発達させ得ると言った。また、相手の美質を確認することによって男性は女性を尊重するようになり、これが「女権」の伸長に繋がるのだと主張したのである。女性の美質の発見とは、女性性と女権の伸長を意味しそれはまた男女交際の主な利点であると把握していたのである。どころが、『女学雑誌』は女性性をもっとも発揮できる場として家庭を位置づけ、女権は家庭で妻と母としての役割を行うことによつて得られるものだと強調する。結局、『女学雑誌』の男女交際論は「和樂團欒」な家庭を作るためい、女性は家庭を守るべきであるという結論に帰着し、それは女性を家庭に縛り付ける新たな論理を作り出したと言えよう。 文明開花期に重要な役割を果たした『女学雑誌』によって展開された男女交際論は男女関係の新しい像を提示した当時としては画期的なものであったと言える。しかし、現在の視点から考えると、それは女性の社会的役割や主体的権利を度外視した女性不在の男女関係論に終わったと評価できよう。