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아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)의 탈중심문화관 ─주연문화(周緣文化)의 가치주장을 중심으로─

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The Founding of the Value of Marginality Culture, and Frustration

김효순

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초록

일본어

本論文では「俊寛」「第四の夫から」「湖南の扇」といった、共通して日本の現実や文化を<外部>の世界から眺め、相対化した作品を中心に、東アジアにおける芥川龍之介の日本文化中心主義への批判意識と周縁文化の存在価値の主張を検討した。 「俊寛」で、芥川は以前の俊寛像、特に菊池寛の描く俊寛像を意識し、島での俊寛の生活描写を通して、中心と周縁の価値転換を試みている。俊寛は都の価値や論理で島のそれを判断しない。その代わりに、彼は、島の人、島の食べ物、生活全般をありのままに受け入れ、満足し安住しようとしている。これは数多くの作品を通じて新しく造型されたどの俊寛像とも違う、芥川のみの俊寛像といえる。また「第四の夫から」は日本の外部の世界から法、制度、秩序、道徳など、西欧化された日本の近代文明・文化の伝統文化からの断絶、それによる虚構性を批判し、世界の文化の多様性をチベットの民族生活に追い求めた作品であるといえる。このような文明・文化批判は『西蔵旅行記』の著者河口慧海に、作家芥川の姿を投影した<僕>の口を借りてなされている。最後に、「湖南の扇」では人血ビスケットのエピソードの野蛮な側面を、それが中国古典のロマン的世界に通じることから肯定していく。そこには西欧化された近代文化への激しい憎悪が裏打ちされているとした。これらの作品を通じて具現しようとした芥川の作家精神は、確かにその当時の時代よりは進んでいる芥川の独創だと言える。 しかし、これらの作品は成功作とは言えない。たとえば、「俊寛」の語り手は実際に現場を体験したリアリズムを背後に秘めるといった存在ではなくて、彼の語りにはいつも書斎にこもる作者芥川の声がだぶっていたり、あるいは「第四の夫から」の語り手である<僕>は死を賭して奥地を探検した結果を記録する河口慧海に比べて生命力に欠けた人物でしかない。また、「湖南の扇」の人血ビスケットのエピソードを伝える<僕>は、それを書籍の世界で想像した中国人に対するエキゾチシズムに満たされているために、中国の現実をオリエンタリズム的な眼差しでしか見つめようとしない後ろ向きの姿勢が認められる。 このような作品の生動感・生命力に欠けるという共通の欠点は、つねに現実から離れた書籍の世界の中で知的な操作によって架空の世界を作り出そうとする芥川の創作態度によるものである。彼は意欲としては現実の時代、あるいはその思潮と鋭く対決する作品が書きたかったが、結果的にはブッキッシュな創作態度がそれを妨げ、彼の作家精神の具現は失敗に終わったのである。文学作品としての致命的な欠陥が<相対化>する眼差しと脱中心化の方法による作家精神の具現を失敗に終わらせた。それがそのまま、晩年の失敗と挫折に連なり、以後彼は自分の文学精神とそれが実現できない現実との食い違いで葛藤するようになる。

저자정보

  • 김효순 고려대 강사

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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