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초록
일본어
『源氏物語』の六条御息所は物の怪になるほどの極端な性格の持ち主である。しかし生霊や死霊のその<物の怪>という単なる怨霊としてのイメージに終わることなく、家の正体性と斎宮の母としての心に気づきながら、やがて娘の中宮の将来を導く<母>として成熟していく姿を見せる。 六条御息所は<車の所争い>を経ることで、光源氏の気ままな愛の在り方に疑問を抱き、<嫉妬>による<物の怪>となる。そしてその<物の怪>の姿を光源氏に知られ、漠然と伊勢下向を考えていた六条御息所はやむを得ず伊勢下向を決心するようになる。しかし<物の怪>による伊勢下向を不名誉に思うことが、それまで忘れられていた家の期待を思い出す契機となるのである。六条御息所の<物の怪>は光源氏に対する未練が原因であるため、その執念深い性格が問題視されてきた。しかしこの執念深い性格がかえって光源氏と繋がり、光源氏の心を動かす基にもなるのである。 伊勢から戻った六条御息所は出家を決行し、光源氏には前斎宮の母としての姿を見せる。つまり光源氏が前斎宮の後見人となってくれるように、自分の不幸を教訓にしながら頼むのである。 死後も六条御息所は、光源氏が紫上に自分の欠点を話したことに憤慨して死霊となって表れるように、以前の性格は変っていない。このように死霊になったのは確かに怨みによるのであるが、しかしその死霊は中宮の後見に対する感謝の気持と頼みの言葉を忘れない。直接には自分の成仏のための仏道供養を頼みながらも、六条御息所はその供養とともに自分の経験に基づいた、中宮が宮廷生活の中で守るべき心構えを伝えてくれるよう頼むのである。中宮に対する愛情と説得力を兼ね備えたこの母としての頼みは、六条御息所の死霊がもはや<物の怪>として苦しむ低次元の鬼ではなく、神のような高次元の霊へと昇華されつつあることを悟らす。このようにして六条御息所は、苦難と克服を克明に表わす『源氏物語』特有の人物像を演出するのである。この、六条御息所の母としての側面を顕にすることが本稿の狙いである。
목차
1. 서론
2. 伊勢 낙향의 의미
3. 출가의 의미
4. 成 의 지향
5. 結論
參考文獻