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堀辰雄のアンリ·ポアンカレ受容の背景 ー日本におけるポアンカレ思想集受容の流れと関連してー

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Context of Reception of Henri Poincar in Hori Tastuo

兪在眞

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초록

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フランス有数の数学者であり、物理学者であったアンリ·ポアンカレは、ピカソとアインシュタイン双方に多大な影響を与えた人物である。ポアンカレは、それまでの物理学における絶対的な時間概念とユークリッド幾何学を基にした絶対的な空間概念に疑問を提起し、非ユークリッド幾何学を用いた四次元世界のモデルを提示することに成功した。この成果が、科学においてはアインシュタインによる現代物理学の開始と、芸術においてはピカソによる絵画の革新の双方に影響を与えていた。20世紀の芸術、特に西洋のモダニズムは、それまで絶対的だとされてきた物質の基本概念が一新したことによって、人間や社会など芸術の対象となる現実そのものも、もはや絶対的ではなくなり、芸術家自らが表現することによって、〈現実〉を創出させなければならない状況のなかで起こってきたのである。堀辰雄が西洋のモダニズム作家·絵画とともにポアンカレの科学思想にも目を向けていたのはある意味必然的だったのである。堀辰雄の文学的方法論の確立の背景にポアンカレの科学書があったという事実は、その文学を考える上で看過できない重要な問題である。 以上のことを踏まえ本論では、堀辰雄のポアンカレ受容を糸口に、ポアンカレの科学思想集が日本でどのように紹介、受容されてきたのか、明治末から昭和初期までのポアンカレ受容を辿ってみた。そして、その過程で堀辰雄がポアンカレを受容した背景と経緯を明らかにした。また、明治、大正、昭和と受容の変遷過程を概観することによって、堀辰雄が受容した昭和初期の時代的特性も浮彫りにすることを試みた。 考察の結果、明治·大正期のポアンカレ受容は、明治期以降の哲学界の主流であった新カント派の哲学者がポアンカレの認識論に共鳴し、その紹介に努めていたことと、田辺元の科学哲学書と『科学の価値』翻訳本が大流行したことを確認した。田辺元の翻訳書や著書の流行がポアンカレ思想集の出版を促し、昭和初期に至ってポアンカレ翻訳本の読書環境は整ってきたのである。そして、堀辰雄がポアンカレを受容するに至った背景と経緯としては、堀辰雄の第一高時代の数学教師、吉田洋一訳『科学と方法』の出版と、堀辰雄の習作期である1925(大14)年から1928(昭3)年に集中してポアンカレ思想集の翻訳本が出版されていた点を指摘できる。そのような過程を背景にポアンカレの科学思想は、当時新しい文学論を確立しようとした新鋭作家たちにも読まれ、彼らの文学論の樹立に影響を及ぼしていったのである。

목차

要旨
 1. はじめに
 2. 明治․大正期のポアンカレ思想集の紹介と翻訳
  2.1 明治期のポアンカレ受容 林鶴一․桑木厳翼․寺田寅彦
  2.2 大正期のポアンカレ受容 田辺元
 3. 昭和初期のポアンカレ思想集の紹介と翻訳
  3.1 昭和期のポアンカレ受容 吉田洋一․出版状況
  3.2 昭和期のポアンカレ受容 阿部知二․堀辰雄
 4. おわりに
 参考文献

저자정보

  • 兪在眞 유재진. 고려대학교 강사

참고문헌

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