초록
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田村俊子(1884-1945)は、26歳に小説『あきらめ』(1910.11)が大阪朝日新聞の懸賞に当選され、文壇にデビューし、それから日本を離れカナダに発つまでの約8年あまりの期間に集中的に小説を発表した。この時期は雑誌『青鞜』の刊行時期(1911-1916)とほぼ一致する。周知のように『青鞜』は近代日本の支配イデオロギーである天皇制を支える男性中心のジェンダー秩序を覆したという評価を得ている雑誌である。参加者たちは「女性」と「性」をキーワードに世に問題提起をし、この雜誌の贊助会員であった田村俊子も創刊號に『生血』(1911.9)を発表した。男性の「性」に抑圧される若い女性の複雑で微妙な内面の葛藤を描いたこの作品を通して俊子は文壇の注目を浴び、本格的な作家活動を展開することになる。以後、次々と発表された『誓言』(1912)、『女作者』(1913)、『木乃伊の口紅』(1913)、『彼女の生活』(1915)などの一連の代表作を通して、男女関係の「官能描寫」、「頹廢美」などを基調に肉感的な内容の作品を多數発表した。 だが、カナダより18年ぶりに歸國してから発表した小說、隨筆、評論などを読むと従来の作品とは確然と違う作品を書いている。『小さき歩み』三部作(1936.10-1937.3)をはじめとする、ほとんどの作品には濃い社会性が滲んでおり、作者の深い思惟の痕跡を読み取ることができる。このような作風の變化は、カナダ居住日本人移民者たちのきわめて悪い勞動條件及び苦しい現実を認知した上で蓄積された、作者自らの意識の変化にその原因を求めることができるだろう。カナダ体験後の彼女の人と文学、その両面における大きな変化、また雜誌『女声』をめぐる上海での活動などに関する研究はたいへん興味深い研究分野であるが、本稿では田村俊子自ら「過去の生活と共に捨て去ったもの」だと宣言した、カナダに出国する前に発表した『あきらめ』をはじめとする、「過去」の一部の作品に注目してみた。というのも、この時期の作品こそ、田村俊子が女性作家として自分の存在をめぐるジェンダー・イデオロギーを明確に示していると同時に女性を抑圧し拘束した時代に、その「時代への反抗」を様々な女性の人生を通して自由に描いた点において充分に魅力的であるからである。 当時、ほとんどの女性が家父長制度のもとで良妻賢母主義の女性観を内面化し、それに順応しつつ自分の立場を説明する言語を持たない中で、田村俊子は自らの言葉をもってそれらの女性たちの様々な人生を彼女たちに代わって語り、小説として書くことによってその現実を告発している。その点、後日になって俊子自らが否定した自分の「過去」の作品は決して捨て去られ忘れられるべきものではなく、かえって新しく発掘され積極的に評価されることによって、今日を生きる我々女性たちに「女とは何者であるか」という問いを与え、それに対する一つに答案を提示してくれるヒントとなるべきではないだろうか。
목차
1. 들어가며
2. 시대와 문학이라는 테마
3. 도미에의 귀향
4. 자기실현의 길을 찾아가는 여성들
참고문헌