원문정보
초록
일본어
2000年12月に刊行された『取り替え子』は作家大江健三郎の義兄(映画監督伊丹十三)の投身自殺を小説のモチーフにしていることもあり、批評側では作中の「アレ」と呼ばれる事件の真相をめぐって様々な議論が交わされた。その2年後『取り替え子』の内容を受け継いで書かれた『憂い顔の童子』は『取り替え子』刊行当時のテクスト外の言説まで織り込まれている自己言及性の強い作品で、<これは事実である>、<これはウソである>と相反する語りがテクスト内に混合している。本稿はフィクションであることを前提に書かれた内容に対して、テクスト外の言説まで取り入れながら繰り広げられる事実と虚構をめぐる言語ゲームをいかに読みうるかについて考察したものである。論者は、このようなメタフィクションの装置は80年代後半から著しく表れる自己言及性と連動しつつ新たに現われる「ドン・キホーティス厶」的傾向がもたらした結果と捉える。そこでまずテクストのベースにある「ドン・キホーテ的」要素を確認し、「古義人」をしてドン・キホーテを演じさせることがいかなる方向性を持って展開していくのかを、晩年を迎えた老作家の書物に対する執念と強い自己省察の態度を通して分析する。これによって「ドン・キホーティス厶」は自己言及とともに「古義人」シリーズに通底する大江の晩年の創作態度の一つであることが明らかになる。
저자정보
참고문헌
자료제공 : 네이버학술정보
