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일본어
植民地時代末期の韓国文学は彼らが理解した「日本」がほかならぬ「秩序」であり、「天皇」であったことを示している。それは、身体を律する<規律>としての近代体験でありながら、私的日常空間を<公>的領域化していく全体主義の始まりをつげるものだった。詩人徐廷柱の短編小説は、植民地人の複雑な思いをよく表していて、当時の文学を単に「親日文学」とのみみなすことは暴力であるのみならず、間違った分析と言うべきである。そのような中で韓国の人々は「個」(の存在にかかわる意識)を捨て、「全体」としての「国家」=「天皇」の存在を内面化することこそが「日本精神」だと理解している。「規律」を身体化する「訓練」を受けて「強」くならねばならないととする強者主義が芽生え、朝鮮における古くからの「孝」概念と「日本」の要求する「忠」概念の対立を「天皇の赤子」というような国家家族主義で解決し、男性たちは軍人になることで一等国民の「日本人」になることを欲望した。それはいわゆる「強制徴兵」の多様性を示すものであり、そこにおいて植民地の男たちと宗主国の男たちとの共謀を見ることができる。そういう意味でもこれまでの植民地観は見直されるべきであろう。
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