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本稿は、秀吉の朝鮮侵略勃発前(1586ー592)における韓日関係の推移を、朝鮮通信使(1590)派遣をめぐる交渉、朝鮮通信使に対する両国の認識、通信使以後の両国情勢などを中心に検討したものである。1590年の朝鮮通信使は、秀吉より、朝鮮出兵を保留する代わりに朝鮮国王の入貢を命じられた宗氏が、朝鮮に秀吉の日本統一を祝賀する使節派遣を要請することによって実現した。したがって通信使をみる両国の認識には、大きな懸隔があり、朝鮮は伝統的な交隣の証として派遣した反面、日本では秀吉への服属使節として宣伝され、また理解された。通信使の日本行以後、秀吉の対朝鮮政策が「朝鮮侵略」から「明征服への協力」へと変わったものの、これも現実問題として朝鮮側の同意を得られない極めて一方的なものであった。一方の朝鮮は、通信使派遣をきっかけに、倭冦に協力した朝鮮人と日本に拉致された多くの朝鮮人を送還させることができたので、この点では外交的に実利ある成果をおさめたといえる。ところが朝鮮は、秀吉に大陸侵略の意思があるとのことを直接通告されたにも関わらず、国内の政治事情や対外的な情報不足もあって、日本側のあまりにも急な動きに適切な対応、または備えをとることができなかった。のみならず日本に服属して明征服に協力しようとしているという対外的な誤解までを背負うことになってしまった。
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