원문정보
초록
일본어
『徒然草』の注釈の歴史は長く、量的にも厖大であるが、それは主に典拠の指摘でとどまったり、単語の意味を辞書的に解いたりするのであった。だが、作品の中で機能するイメージや趣きを理解するには、文体に対する考察が必要だと思われる。兼好の創作心理というのは、『徒然草』全体にわたって働く問題だからである。『徒然草』を随筆という枠から引き出して、典拠表現との関係のなかで考え直すと、だいぶ不自然で虚構性の強いところに直面するようになる。『徒然草』を随筆として捉える通念は、読み手にして作品の内容すべてを兼好が自ら体験した事実と思わせた。特に『徒然草』のなかで理解しにくく不自然なところについては、兼好の体験であるか否かに関する議論が多かった。しかし、より大切なのは、作者の創作心理はエクリチュール全体にかかわるものであるから、表現の虚構性を綿密に検討することであろう。 本稿では兼好の体験か架空かの議論がなされてきた王朝の物語的な段を中心に、典拠になる作品と『徒然草』の表現を対照してみた。これを通して、兼好が虚構に対してどういうスタンスをとったか、またどうして虚構が必要だったかを把握してみた。「場」を越えて、言葉と言葉の組合が基盤になり、想念や心情を醸し出す「トポス」という概念を借りて、語り手(あるいは書き手)と讀み手が互いに共通で持っていると思われる虚構の観念と背景について考察した。そして、朧化した表現が頻繁に出てくることと関連して、兼好にとって虚構がなぜ必要であったかまで察してみた。虚構は近代の概念ではあるが、虚構そのものを有効にみなした意図はすでに存在していた。本稿では『徒然草』の場合を分析し、ジャンルにこだわらない、新しい『徒然草』というエクリチュールの姿に近づいてみた。
목차
1. 서론
2. 본론
2.1 이중 시점의 노출
2.2 겐코가 토포스로 삼은 것
2.3 허구의 필요성
3. 소결
참고문헌
