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초록
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1938年、雑誌『文体』に発表された「閑山」は坂口安吾の説話形式の小説として初めての試みの作品だといえる。本稿ではこの作品が安吾の文学活動における新しい方法の転換からできたものとして、彼の美意識を表現するためにどのような役割をしているかについて考察していきたい。 長編「吹雪物語」が失敗作と呼ばれるようになったゆえんのため、激しいスランプに陥っていた安吾にとっては新しい文学方法は絶実な課題であり、不可欠なものだったので、それを模索するしかなかった。このようにその初めての試みの完成がこの「閑山」である。執筆当時、古典と仏教に至大な興味を持っていた安吾はこの作品の以外の説話形式の小説でも仏教に関わる要素を採っていく。この作品は説話形式の出発という性格と、以前の彼の文学の性格の一つであるファルス的な様相が強く共存している作品である。この点から、これはファルスから説話形式に経過していく安吾の文学活動の過渡期の作品だといえよう。仏教への興味と会得によって、自然への畏敬と自然摂理を悟るようになる安吾は自分の文学の中に次第に美への畏敬からできた自分なりの美意識を表現していく。これは畏敬を表現するために荒唐無稽が許される説話という空間を装置するという文学方法に至る。以後、続く安吾の説話形式は残虐と無残さを強く帯びながら美への畏敬を強調することになる。 主人公の狸は閑山寺の徳望高い老僧である六袋和尚の寫經を妨げ、六袋和尚は自分のことを邪魔するなという意味で狸の掌に朱筆で<花>という字を書き付ける。この一の字のため狸は団九郎とい人間に変身し、これから彼の人性は一変する。六袋和尚の遷化以後、団九郎は自ら呑火和尚になるが、村の久次というしれもののいたずらのため、絶え間なく放屁するはめに逢う。動物である狸の人間への変身と謹厳なはずの和尚の放屁という設定から、まだは新しい文学方法の試しの中で以前のファルス的な雰囲気が濃厚に残っていることを呈している。この以後の説話形式の上に安吾は自分の美意識を披瀝していくため、第一に「閑山」では、美の象徴である<花>という素材を提示する。畏敬が含めるちょうどいいスケールは自然だとする時、その自然の代表としてここでは<花>が登場しているのだ。 これまで考察してわかるように、このような文学方法は彼にとって、一つの新しい文学方法の転換とともに、これからの美意識を描くためにも不可欠の試みであった。現実的な論証、科学性なくても物語の展開が可能な説話形式は安吾自分の美意識を籠めるにも適切な空間である。美への慎みという姿勢が安吾の美意識だとするところ、荒唐無稽とともに美への畏敬が共存できる説話形式は美への慎みのための一つの装置であり、説話形式であってこそ、その真価が浮き彫りにされるといえる。 なにより「閑山」は安吾の説話形式の第一の試みであるだけ、ファルスから説話形式への過渡期であり、自分の文学的な実験精神を具現した結実である点からも重要な位置を占めている。また、後に続く彼の説話形式の作品に礎となる点からも、この作品の文学上の意義があると評価できよう。
목차
1. 서론
2. 본론
2.1. 형식의 의미
2.2. 파르스의 잔재
2.3. 미의 대상 제시
3. 결론
참고문헌
