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横光利一『旅愁』におけるナショナリズム ─高有明が問いかけるもの─

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Nationalism in Yokomitsu Riichi's Ryosh?-Questions Raised by Gao Youming

金泰暻

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초록

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本稿は、横光利一の小説『旅愁』における「愛国心」=ナショナリズムをめぐる議論において、高有明が問いかけるものとは何かを問う。つまり、矢代と久慈によって対立的に提示されたかにみえる「愛国心」論議に切り込む第三項として中国人の高有明の存在をとりあげる。『旅愁』に多々ある論争はしばしば、矢代と久慈による二項対立的な構図に回収されがちなのだが、この二人の議論の前提を鋭く問い、対立の構図を攪乱する高有明の言葉の批評性に注目したい。 小説『旅愁』の主要作中人物である矢代と久慈の「愛国心」をめぐる主張は、つぎのようなものであった。まず、久慈は「フランス」「近代の愛国心」を「合理の愛国心」として、「新しい心の対象となるべき精神」として担いでいる。彼の修辞法は、「フランス」革命ではじめてつくりあげた「近代」国民国家こそ、すべて正しい「合理」的な存在であり、それに向かう「愛国心」を「心の対象となるべき精神」として肯定することを含意する。一方、矢代は「愛国心」を、「合理の愛国心だの非合理の愛国心だのって区別」などする必要のない普遍的なものとして、かつ「古いも新しいもあるものか。あるからあるのだ」というように、「自然な」没歴史的なものとして把握していた。 これに対し、高有明は、ナショナリズムの問題を戦争との関連で把握する。ナショナリズムという現象が、矢代のいうように「あるからある」普遍的かつ没歴史的なものではないことを中国の現状から指摘すると同時に、久慈の考えとは逆に、近代国民国家の戦争という「非合理」をともなわない限り現れることのないものであることを、高有明の「愛国心」論は明示している。つまり、矢代と久慈の二人の議論の前提──普遍と合理としてのナショナリズム──を鋭く問うていたのである。『旅愁』における矢代と久慈の相互補完的な関係の一端が確認できたと思われるが、このような視点・分析をとおして、矢代と久慈の対立として『旅愁』を読んできた従来のナショナリズムの枠組みそのものが再審にかけられることをも期待したい。 また本稿は、「アルサス」という地名、「ナポレオン」という固有名が挿入された場面に注目することをとおし、『旅愁』というテクストが「愛国心」=ナショナリズムの問題にどこまで迫ることができたのか、その到達点と不/可能性の射程を明らかにする。これらの地名や固有名が、高有明という存在とともに、『旅愁』のなかに刻まれ、くりかえし記憶に呼び起こされているということは、『旅愁』という言説を単にファナティックなナショナリズムとして切り捨てるのを、われわれに留保させることとなる。

목차

要旨
 1. はじめに
 2. 主題としての「愛国心」
 3. ナショナリズムは普遍なのか──矢代と高有明
 4. ナショナリズムと戦争──久慈と高有明
 5. 『旅愁』の射程と限界
 参考文献

저자정보

  • 金泰暻 김태경. 東京大学大学院博士課程, 日本近代文学

참고문헌

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