원문정보
초록
일본어
本稿は従来包括的にしか受け止められなかった日帝時代の小倉の歴史文法研究を、同時代の朝鮮人研究者達の研究とを具体的に比較分析したものである。まず、郷歌に表われる「叱」についての小倉、梁柱東の両者の文法的解釈に注目し、比較分析をおこなった。また、中世朝鮮語の謙譲法の接尾詞の「」について、小倉と梁柱東、小倉と金亨奎の研究につき比較分析をおこなった。その結果をまとめるとつぎのようである。 第一に、梁柱東を代表とする朝鮮人研究者達の郷歌の「叱」にたいする解釈を検討した結果、郷歌の「叱」を持格の助詞の「사이시옷(ㅅ)」として捉えている小倉の解釈をそのまま受け継いだことが確認された。 第二に、謙譲法接尾辞の「」については、まず、梁(1942)の場合、郷歌での「」を連綴と母音調和を考慮して表記している点は小倉から進一歩した成果として認められる。ただし、「」を謙譲法の接尾辞として解釈している点は小倉の論をそのまま受け継いだことが確認された。 また、金亨奎(1947)の場合も、謙譲法接尾辞「」の比較において、小倉が独立の接尾辞として設定した「」を接尾辞の「」の変遷過程で現われる形態素として編入させたこと、そして謙譲法の接尾辞の変遷過程の時代区分をはっきり示している点は成果として認められるものの、謙譲法の接尾辞の変遷の枠組みが小倉とほとんど一致していることも確認された。 つまり、本稿で考察した日帝時代の小倉と朝鮮人研究者達の中世朝鮮語文法研究に限って言えば、小倉の研究により土台が築かれ、後学者たちはこれを踏み台にし発展していったことが具体的に確認されたものと言えよう。とりわけ、梁柱東や金亨奎の活躍をも具体的に浮き彫りになってきたことは注目に値する。
목차
1. はじめに
2. 小倉進平と朝鮮人研究者達の朝鮮語文法研究の比較分析
2.1. 郷歌の「叱」に対する解読比較
2.2. 謙譲法接尾辞「」の研究比較
3. 結び
參考文献