원문정보
초록
일본어
本研究は、朝鮮総督府の国語(日本語)教育思想の忠実な実行者であり宣伝者として知られる森田梧郎に注目し、森田の言語観および教育観の変化・展開過程についての検討を通じて、日帝強占期朝鮮での言語問題の一面を眺望してみた。 日帝強占期を通じて朝鮮における日本語は大きく分けて三つの意味として変化していったものと考えられる。まず最初の段階では韓日合併以後朝鮮語の教育と併行して日本語を常用語として位置づけようと試みていた。次の段階では朝鮮語を排除し、もっぱら日本語だけの使用が強制された。そして最後には「内鮮一体」の鞏固化を背景に母語としての日本語教育が主張されるに至った。 このような流れのなかで森田の論理を追ってみると、彼は「皇国臣民」としての「国民精神」を涵養するがために日本語を教授するとはいえ、実際には朝鮮人にとって日本語はあくまでも外国語としての色合いが濃いので、学校教育のみならず一般人を対象とした様々な努力にもかかわらず満足のいく結果を得られずにおり、その一方では、既存の国語(日本語)教育理論だけでは論理的な限界に直面しているということを、日本語教育の政策実務担当者として認識していたものと見受けられる。 この限界を乗り越えるために、森田は朝鮮語の干渉による誤謬の問題を取り上げつつ、恩師である時枝誠記の論理を積極的に取り入れるわけであるが、皇国臣民としての朝鮮人が朝鮮語を捨てることを合理化し、進んでは日本人としての朝鮮人の言語生活、つまり母語としての日本語について言及するようになったのである。 森田の言語観の展開過程は、<外国語としての日本語教育>から、<国語としての日本語教育>へ、さらに最終的には<母語としての日本語教育>へと変わっていったのであり、そしてこのような展開における論理の提供者は時枝をはじめとするいわゆる国語学者たちで、このような流れを編修官の森田は忠実に遂行していたものと考えられる。
목차
1. はじめに
2. 先行研究と本論文の立場
3. 国語としての日本語教育
4. 母語としての日本語教育
5. おわりに
參考文献