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植民地時期 日本人들이 發見한 ‘新羅’에 관하여 -야나기 무네요시(柳宗悦)의 경우-

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About the Japanese Find in ‘Silla’ in Japanese Colonial Age-In case of Yanagi Mune Yoshi

이병진

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초록

일본어

韓国の近代は断絶と激変の連続という様相を呈しながら、一方、近代それ自体の要求に応じる伝統の創造という姿を持っている。韓国の近代文化のなかには韓国という共同体の維持、革新、発展のために伝統創りの作業が度々発見される。そのなかで代表的なものが本稿で扱った「新羅」表象の創出作業だ。例えば、宗教的․美術的に最高の境地を示す石窟庵, 繊細さを極める佛國寺の女性的な多寶塔、一千年の春風と秋雨を耐えて立っている釋迦塔などがそれである。21世紀に住んでいる現在の韓国の人々にはこのような「新羅」表象はあまりにも親密で明白なものでそれの歴史的起源は疑う必要のないものとして感じられている。 ところが、このように親密な「新羅」表象は実は近代の発明品であった。それは新羅表象が構築され始めた植民地時期に日本によって発明された新羅表象が我らを構成する重要な拠点を与えてくれた。同時に新羅表象は植民地時期を背景に「主体ー他者ー伝統」が力動的に創り出す近代的主体構成の複雑な脈絡を分析できる核心的なコードである。本稿では柳宗悦を中心に植民地時期の日本人が発見した新羅について検討する。例えば、柳宗悦の「石仏寺の彫刻について」(1919年)には、新羅の芸術的な完成度の高い遺産が東洋文化の重要な記念碑として発見されている。そこには博物館としての新羅(慶州)が東洋の古代を代表する美術として保存されている。彼は植民地朝鮮が持っている意味ある過去のなかで新羅を呼び出して、それを東洋の主体として構成する企画をするようになり、そのなかで帝国ー植民地ー伝統のダイナミックな関係の網が構造化される。それは世界に通用する新羅という、新羅に関わるコスモポリタニズ厶の理想が胚胎される可能性を開いてくれたのである。 太平洋戦争が始まる1940年代に入ると、朝鮮は帝国日本の或地方として統合されてゆき、朝鮮文化は帝国文化の一部として位置付けられるように求められる。この時期に新羅の表象も日本という他者と区分された朝鮮の自己構成に必要な伝統ではなく、日本と朝鮮の同質的な根源を示す事例として脈絡化されてしまう。日本の武士道精神を説明しながら新羅の花郞徒が喚起されて、古代日本と新羅の関係が再構成され、新羅という日本帝国の拡張された同一者として位置付けられるのである。

목차

要旨
 1. 들어가며
 2. 야나기 무네요시가 발견한 풍경으로서의 '신라
  2-1 표상공간으로서의 조선
  2-2 동양미술의 寶庫로서의 불국사
 3. 나오며
 참고문헌

저자정보

  • 이병진 세종대학교 일어일문학과 강사, 한일비교문학·비교문화

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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