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鎌倉時代の六人の祖師による仏教宗派としては法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗などがある。その中でも、親鸞の浄土真宗は、その仏教思想の構造と性格、そして宗教と教育の問題に関する論点を持っている点で注目すべきである。仏教は日本に入って以来、国家権力の保護を背景にして栄えてきた。しかし、親鸞はこのような仏教のあり方を、一切拒否する。親鸞は、一切の衆生は自力で救済されるのではなく、救済を本願とするアミダ仏(弥陀、阿弥陀、阿弥陀仏)の力によって救済されると教えた。そして、「悪人こそ往生の正因なり」という悪人正機説を主張した。親鸞の浄土真宗(主に、本願寺派と大谷派)の場合、1877年、本願寺派の奥村圓心が釜山に別院を設立した以来、元山、仁川、京城、木浦等に本願寺の別院が設置された。これは日本仏教の韓国浸透、そして日本仏教による植民体制の固着化と植民教育の強化を意味する。浄土真宗は、親鸞の真諦(アミダ仏至上主義)を捨てて、神々と仏たちの連合によって作られていた日本の体制的信仰の道を選択して歩いた。当然ながら、浄土真宗は、国家と天皇の繁栄を願うための魔術となった。浄土真宗の体制的信仰の特徴的な姿は、神道は先祖を崇尚する道であり、宗教ではないという、神道非宗教論に変貌された。明治のはじめ、天皇政府は狂信的な神道主義の立場から、排仏主義を強行した。そのとき、浄土真宗は「アミダ仏のように天皇を信仰しよう」という運動を起こした。そして、戦争中に作られた靖国神社などに抵抗することもしなかった。彼らは、神社参拝に対し、非宗教性を強調しているものの、これは非論理的で教育に反する要素を持っている。これは教育引退という学校教育の破滅を招くことになった。このような浄土真宗教団は親鸞の真意から離れて、国家と天皇の繁栄を願うための魔術となった。
목차
1. 머리말
2. 신란의 아미타불신앙과 악인정기설
3. 신란사상의 변모 양상과 식민교육의 문제
4. 맺음말
참고문헌