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초록
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本論文は、北村透谷と山路愛山を中心に展開された「人生相渉論争」における文学と功利主義の問題を考察したものである。「人生相渉論争」は、多様な論点をめぐって活発な論争が交わされた明治20年代の文学論争の大尾を飾った論争である。この論争の主な内容は、愛山の功利主義や目的論と透谷の純文学の対立、愛山の実際(現実)主義と透谷の浪漫主義の対立であったと評価されるように、明治20年代に行われた一連の文学論争の問題意識とその論点を継承している。 「人生相渉論争」をめぐった先行研究では、「功利主義」そのものを近代文学から排斥されるべき要素と見做し、北村透谷と山路愛山の文学論に対する価値判断もこの「功利主義」の解釈によってなされてきた。厳密に言えば、愛山が主張する「人生」と「世」に益する「文章」という概念も今日の「文学」と同様の概念とは言えない。なぜならば、愛山が「頼襄を論ず」という評論で提示した「文章」とは「詩․小説․戯曲」等の「軟文学」を意味したのではなく、「歴史、人物評、論文、批評」、すなわち「史論」を中心とする「硬文学」を意味していたからである。取り分け、愛山の文学論を俗物主義で近代的でないと批判する研究も、そうではないと肯定する研究も、彼の提示した功利主義に対して否定的な認識を共有している。「人生相渉論争」に対するこのような認識は、20世紀の文学主義の立場を遡及し愛山の文学論の価値を判断し裁断してしまう行為といえる。また「人生相渉論争」における文学と功利主義の問題は、ただ明治20年代の文学論争に登場したことではなく、近代的芸術概念と文学概念が形成された明治期全体の文学․芸術の議論と関わるテーマである。
목차
1. 서론-문제제기
2. 〈인생상섭논쟁〉의 전개와 문학의 공리성
3. 메이지 20년대 문학논쟁과 〈인생상섭논쟁〉
4. 메이지 초기의 일본문학의 공리주의의 계보
5. 결론
참고문헌