원문정보
초록
일본어
島崎藤村の初期短編集『緑葉集』は、従来作家の生活史的側面からの研究が主流をなしており、性欲描写という視点から作品を評価してきた嫌いがある。しかし、夢の喪失や愛の喪失という主題意識に注目してこの作品集を読み解く場合、新たな作品分析の可能性が見いだされる。その際、<世間>という視点に立ち、女性へのまなざしに焦点を絞ると、また別の意味で『緑葉集』を一つの有機的な作品として読み直すことができると思う。 「老嬢」は、精神の自由を求め、仕事のために独身の道を選んだ新しい女性夏子の破滅的人生を描くことにより、当時の知識人女性に対する普遍的な社会認識を反映するとともに、限界も露呈している小説である。それに比べ、「水彩画家」は、<新しい生涯>に対する幻想に生きる主人公伝吉が、家庭と社会の悲観的現実の中で次第に<世間>の視線を意識し、<世間>の論理に挫折していく過程を描いている。伝吉をめぐる女性たちとの関係を中心に読み解いていくと、弱者としての女性の政治性が見いだされ、女性を中心にする<世間>の論理が確認できる。 以上のように、本稿では「老嬢」と「水彩画家」に描かれている女性に対するまなざしに着目し、<世間>の論理に左右される人生の断面について考察することによって、『緑葉集』の持つ独自的な意義について論じたいと思う。
목차
要旨
1. 들어가는 말
2. 「노처녀(老嬢)」에 나타난 여성에 대한 시선
3. 「수채화가(水彩画家)」에 나타난 여성에 대한 시선
4. 나오는 글
참고문헌
1. 들어가는 말
2. 「노처녀(老嬢)」에 나타난 여성에 대한 시선
3. 「수채화가(水彩画家)」에 나타난 여성에 대한 시선
4. 나오는 글
참고문헌
저자정보
참고문헌
자료제공 : 네이버학술정보