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사타 이네코(佐多稻子)의 朝鮮人像(二) -『순백과 자주』를 중심으로-

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A Study on Sataineko's image of Chosun(2)-Focused on “shirotomurasaki”

朴愛淑

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초록

일본어

本稿では、佐多稲子の『白と紫』に描き出されている朝鮮人像について検討して見た。この研究は馬海松が「白」と「紫」と嘆く口調で言ったことから作品の題名を付けたので、馬海松と関連があるという疑問から出発した。 1940年、1941年佐多稲子は朝鮮を旅行した後、随筆「朝鮮印象記」の中で朝鮮の風景のイメージが灰色と描写したが、戦後の作品『白と紫』の中にはその理由が何処から起因するのかについて追求している。『白と紫』には、日本の女性である大沢芳子と朝鮮の女性である田貞熙という二人の女性が尖鋭な葛藤・対立構造を通じて、民族的な差別を受けている朝鮮人の抑圧された憤怒と苦痛を導出している。芳子は佐多稲子をモデルにした人物であれば、民族性の強い田貞熙は馬海松をモデルにした人物だと言えるだろう。 佐多稲子はプロレタリア作家として民衆の現実を直視することができず、戦争と共に時流に流れていた。『白と紫』の中では芳子を通じて朝鮮で驕慢な態度を取った事実に対して自省する。当時朝鮮で日本人が朝鮮人にむかって自己の支えのように優越と侮蔑を示すようになったのは、根深い抵抗を意図的に隠そうとする計算的な行動から始まったと強調する。芳子は日本人が朝鮮の景勝に対して自分たちの物のように、朝鮮人の悲壮な願いを引用している現実は朝鮮人にあまりにも不当で残忍な事だと打ち明ける。特に日本人のみの総督府編集室で唯一の朝鮮人だった田貞熙が血戦をする場面は、平素文章は人だという信念を持っていた馬海松のイメージを連想させていると思う。 つまり、佐多稲子は『白と紫』で美しい朝鮮の風景を灰色に卑下して見ようとしたことを反省し、朝鮮で日本人が持っていた変形された優越主義を批判すると同時に、田貞熙の「うわごと」を通じて主権と言語を奪われてしまった朝鮮の知識人の悲哀と怒りを形象化している。

목차

要旨
 1. 들어가는 말
 2. 馬海松이 말하는 순백과 자주
 3. 조선의 풍경에 서린 비애(悲哀)
 4. 민족차별에 대한 기억
 5. 맺음말
 참고문헌

저자정보

  • 朴愛淑 박애숙. 상명대학교, 근대문학전공

참고문헌

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