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초록
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「セヴンティーン」「政治少年死す」は一九六〇年十月に起った十七才の山口二矢の社会党委員長刺殺事 件を素材とした作品である。一九六〇年代の所謂〈政治の季節〉に出た「セヴンティーン」二部作は『風 流夢譚』と共にテロルの季節の記憶を喚起させる。「セヴンティーン」二部作は、大江健三郎の回想によれ ば、右翼と左翼両側から非難を受けた作品であり、第二部の「政治少年死す」は今でも活字化されない状 況である。大江健三郎はなぜこのようなラジカルな問題を抱えている「おれ」を描いたのか。大江は山口二 矢の行動から何を見て取ったのか。 「おれ」は失禁、失神という身体の欠陥を持っている。「おれ」のこのような身体性は、アイデンティ ティーを喪失した者の自意識過剰の心理作用によると言える。「おれ」のアイデンティティー喪失は作品に 「おれ」の名前が明記されていないことと関わる。「名付け」は存在にかぶせる単なる記号ではなく、存 在そのものの意味を付与する行為なのである。「おれ」の名が明記されていないことは社会において「お れ」の位置づけ、すなわちアイデンティティーが不明確であることの裏付けであるが、その原因の一つに 「重要な他者」の不在が挙げられる。本稿は「セヴンティーン」二部作の研究の第一部として、まず「お れ」という一人称をめぐって考察する論文であるが、大江の一九六〇年代に対する時代認識は、「おれ」 の行動が単ある「甘え」によるものではないことを物語る。
목차
要旨
1. 始めに
2. 「おれ」の身体性
3. 「おれ」という名
4. 結びに
参考文献
1. 始めに
2. 「おれ」の身体性
3. 「おれ」という名
4. 結びに
参考文献
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참고문헌
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