원문정보
초록
일본어
<政治の季節>と呼ばれた1960年は、安全闘争を契機に市民運動の激化で騒然とした政治的高揚の時期でサ ルトルのアンガージュマンの影響を受けた日本の文学者たちは、政治や社会問題に積極的に関与していった。こ のような社会と文壇状況に、大江健三郎の文学はどのように応答しているか考えてみるのは必要な作業だといえよ う。「日常生活の冒険」は1960年代の政治的言説が活発だった最中に発表された作品だという意味で大江の作 家的道程を考察するには看過し難い作品である。本稿では、「日常生活の冒険」にあらわれている社会像を分 析して当時の大江健三郎の社会認識について考えてみたい。 この作品は1960年代の社会状況を様々な人物を通じて形象化している。冒険という言葉は日本の市民運動の 起源である明治初期から1960年までの歴史を鳥瞰しがら、1960年代における社会参加、あるいは政治とは何かに ついて考えさせる。 明治期の<政治的人間>を示している大伯父と父の行き方と死は、社会参加が無謀な冒険とよばれるように なった過程を見せている。斉木犀吉という人物像の様々な特徴は1960年代の市民運動の難しさとともにその可能 性をも表していると思われる。 饒舌という象徴は高まっていた政治的認識とその空虚さを見せているし、当時に彼の弱さ(贅沢への憧憬)は市 民運動の挫折を暗示している。そして斉木犀吉の声を借りたモラルとつながりの不在にたいする指摘は1960年代 の政治的言説の問題点を摘発しているといえる。モラルと連帯の不在というのが、社会構成員にとっての内部的 問題であることは重要である。この作品で大江は1960年代の問題を内部的な問題として見做し、問題解決の可能 性への希望を抱いているからである。作品では構造主義的な観点から離れて、社会の意志(すなわち政治)を形 成する根幹として社会の個々人を捕らえ、その個々人によって社会変化を起こすことができる可能性を提示してい ると思われる。この作品は1960年代の政治的発言と市民運動の問題点を指摘しながら、運動の実現のための解 決方法を提示しているという点で今もなお重要な作品だといえよう。
목차
1. 들어가며
2. “모험”의 역사적 의미
2.1 조부의 시대
2.2 1960년대의 허위성
3. 모랄과 연대의 부재
3.1 요설과 모랄
3.2 연대 형성의 실패
4. 맺으며
참고문헌