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초록
일본어
戦後日本の経済優先の現実主義外交路線は、50年代に入って輸出促進のための戦略的外交としてさらに強 化される。その結果、日本は先進諸国をはじめ、共産圏諸国や東南アジア、そしてアフリカの新興国まで積極的 な通商交渉を行い、貿易活性化の基盤を拡大していった。神武・岩戸景気を経ながら、完全に経済回復に対す る自信感を取り戻してからも、経済成長の勢いと経済外交の成果は止まる所がなかった。貿易自由化の波が世界 的趨勢になった60年代に入ってからは、対外経済環境も日本にかなり有利に働かされ、戦後の国家造りの方向 性もほぼ軌道にのった。それから「経済外交」は、「トランジスターのセールスマン」「エコノミック・アニマル」 といった手厳しい視線に直面しながらも、戦後の保守本流政治勢力の経済立国路線に便乘し、いつの間にか長 い間日本外交のトレイドマークのように認識されてきた。 だが、経済外交の陰に潜んでいるものの、日本の外交能力が生かされたもう一つの分野があるとすれば、そ れは言うまでもなく「文化外交」である。戦後日本のアジア外交を含めた対外政策をみると、意外と「文化外 交」に力量を集中してきたことがわかる。文化外交の持っている意味とその影響力は、今は21世紀の国の運命を 左右するとまでにいわれているが、その重要性を日本は戦後早々と認識して、経済外交と共に戦後日本外交の 両輪として推進してきた。以上を踏まえて本稿では、まず戦後日本外交史の中で文化外交の重要性がいつ頃か ら認識され、そしていかなる形で具体化され、またその成果を収めながら今日まで至っているかを、その経緯をと りあえず50年代までをめどにして分析した。結果と認知とが必ずしも一対一致しないという好例であり、そのギャッ プは脳の働きによるものだと考えられる。