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文献資料を中心に伎楽の展開史または研究史の流れを見ると、推古朝の時代に百済人味摩之が日本列島に 伝えた伎楽舞は、奈良時代に朝廷と主要寺院を中心に演じられ、保存された事実を、正史である六国史を通じ て確認することができ、さらには資財帳をはじめとする寺院関連資料を通じて確認することができる。 ところが、平安時代以降、伎楽舞がどのような変遷と変容過程を経たかに関しては、未詳の部分が多いまま鎌 倉時代に成立した楽書である狛近眞の『敎訓抄』(1223)を待たねばならなかった。そして、先行研究では、この『 敎訓抄』の記述をそのまま平安・鎌倉時代の伎楽の実態として理解してしまう。即ち、『敎訓抄』のいう「妓楽」を 味摩之の伝えた「伎楽舞」とみているが、証明できない。筆者は一連の拙考〈「伎楽」追跡考〉を通じて、伎楽 舞は、勅撰楽譜『新撰楽譜』を前後に急速にその姿を消し、音楽(雅楽)の楽曲として編入され、特に橫笛の曲と して貴族の管絃として生き残った、即ち舞の「伎楽舞」から楽曲の「伎楽」へと変わった事実を明らかにした。 舞としての面影は、一部の寺院で伎楽会として続けられたが、それも「遺法」として認識されるなど、直接味摩 之の伎楽舞として見るにはさらなる精査が必要であることも触れた。 本稿では、內閣文庫藏『妓楽龍笛譜』なる資料を通して、平安朝以降の伎楽展開史の一端を追跡したい。
목차
要旨
1. はじめに
2. 『妓楽龍笛譜』
2.1. 「妓楽曲」
2.2. 曲の構成と注記
2.3. 奥書
3. 結びにかえて
参考文献
1. はじめに
2. 『妓楽龍笛譜』
2.1. 「妓楽曲」
2.2. 曲の構成と注記
2.3. 奥書
3. 結びにかえて
参考文献
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