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説経節<松浦長者>には二つの諸本(寛文元年版, 江戸版)が存在する。先行研究では江戸版の文学的特質に対して作品論的観点で本格的に研究した論文がほとんど見当たらない。本稿では両板(江戸版、寛文元年版)にあらわれる説経節的要素、さよひめの神性的要素に違いがあることに問題意識を持ちながら、作品論的観点で説経節的要素とさよひめの神性的要素を中心に論議を展開し、江戸版の文学的特質を具体的に明らかにした。本稿では次のように論議を進めた。まず最初に両板で発見できる説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「漂泊民だった者の復讐」)の相違点をみた。次に両板で認められるさよひめの神性的要素(「孝心」、「怨讐を怨もうとしない心」、「救済力」)の差違を調べた。最後に両板で探し出された説経節的要素・さよひめの神性的要素の相違点が、生じた理由と、その相違点が文学的に何を意味しているかを探求した。 その結果、両板において説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「漂泊民だった者の復讐」)と神性的要素(「孝心」、「怨讐を怨もうとしない心」、「救済力」)に関して、江戸版は寛文元年版に比べて強まりの度合が弱くあらわれてた。ところで江戸版にあらわれた説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「漂泊民だった者の復讐」)とさよひめの神性的要素(「怨讐を怨もうとしない心」、「救済力」)の強まりの度合が弱まった理由は、成熟した都市社会に住み近世の現世的思想の影響を受けた観客層が、中世ほど漂泊賎民に関連する要素と信仰的要素を望まなくなり、彼等に合わせて作品が変貌したからであろう。また江戸版では寛文元年版より「孝心」の強まりの度合が弱化していたが、その理由として寛文元年版は元禄時代の前に刊行されたので、その観客層・読者層は近世の現世的思想の影響をあまり受けなかったのに対し、江戸版の観客層・読者層は現世的思想に強く影響を受けた為に、彼等が共感しないものを語り手層・作者層が省いた結果、江戸版では「孝心」の強まりの度合が弱化したと推測できた。 一方、説経節はジャンル的側面で時代にとり残され衰退の方向に進んでいた。また個別作品的側面で両板を比較分析した結果、43年間で起きた江戸版の説経節的要素と神性的要素の変貌は大きくなく、その変貌は説経節<松浦長者>の作品的生命力にプラスになるものでなかった。さらに本稿で論議しなかった43年間で起きたそれ以外の江戸版の変貌も説経節<松浦長者>の作品的生命力にプラスにならなかったと考えられた。むしろマイナス的な面も探し出された。それは江戸版は論理的に疑問を抱かせられる作品であると同時に、作品的に不完全な部分が見受けられることであった。そういう訳で説経節<松浦長者>の作品的生命力の限界性を発見できた。やや逆説的な言い方になるが、両板の比較分析で以上のことが見付けられたという点で、寛文元年版に比べてあまり作品論的観点で研究がなされなかった、江戸版の文学史的な価値を改めて浮き彫りにできたと考えられる。
