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초록
일본어
『裸婦』に断髪や垂れ下がる乳房で女性のありのままの姿を表現した羅蕙錫は、凛凛しいモデルの顔の表情 とは異なって、斜めの視線を描いていた。そこで『裸婦』のモデルの視線の問題を1930年代という時代に焦点を 合わせて検証してみた。 朝鮮の1930年代は支配国日本の軍事政策によって、朝鮮の土地が利用され、荒廃していく時期であった。こ のような植民地朝鮮を羅蕙錫は文章の中で「荒蕪地」「砂漠」に喩えており、植民地化されて「砂漠」化して いく「朝鮮」をあらわそうとした。もはや羅蕙錫は自分の身体は自分だけのものではなく、「朝鮮」を背負ってい るものであると考えていた。いわば、羅蕙錫は女性の裸体を描くことで、自分を投影し、ひいては自分をとりまく 社会的・歴史的背景を反映している。 朝鮮の男性画家は裸婦を描く際、女体を官能的に描いており、モデルの視線を逸らすことで女体を自由に観 賞することができ、男性の性的欲望を露呈している。これに対して羅蕙錫は断髪や垂れている乳房を描き、男性 側による官能的意味を転倒させている。そして『裸婦』のモデルが視線を逸らしているのは、男性画家が描くモ デルの斜めの視線と相違する。それは朝鮮の社会的・歴史的背景をそのモデルが背負っているためである。裸体 画における支配国=見る側=男性画家と、被支配国=見られる側=女性モデルという二項対立的図式が存在す るのに対して、『裸婦』には「見る側」と「見られる側」の視線が画布の上で複雑に交差している。
목차
要旨
1. 들어가는 말
2. 후지시마 다케지(藤島武二)의 『꽃바구니(花籠)』와 「조선」
3. 『나부』에 나타난 시선의 문제
4. 나오는 말
참고문헌
1. 들어가는 말
2. 후지시마 다케지(藤島武二)의 『꽃바구니(花籠)』와 「조선」
3. 『나부』에 나타난 시선의 문제
4. 나오는 말
참고문헌
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