원문정보
초록
일본어
1912年(大正1)10月『中央公論』に発表された森鷗外の「興津弥五右衛門の遺書」は、その後大きく改稿され、翌年単行本『意地』に収められた。鷗外はその自筆広告文において「『意地』は最も新らしき意味に於ける歴史小説なり」と書いており、ここには歴史小説への鷗外の意気込みが感じられる。こうした状況を踏まえたとき、「興津弥五右衛門の遺書」が歴史小説の第一作であることは看過できないであろう。そこで特に、作品が〈遺書〉という形式をとっていることに着目した。 本稿は、こうした〈遺書〉が何を伝えようとしているのかを検討すると同時に、〈遺書〉という形式で小説化するところにどのような意図があったのか、とりわけ乃木希典の遺書との影響関係を踏まえることで、作品「興津弥五右衛門の遺書」の新たな位置づけを試みたものである。鷗外は、1912年という時点における乃木の殉死という行為に、新旧の価値観が動揺する過渡期の時代を生きてきた人間の生と死を見つめたのであった。それはつまり、旧の価値観にのみこだわった乃木の殉死への批判であった。そして、以後鷗外は現実社会の中でひたすら自己の生命を燃焼させていった人々の姿を描き続けるのである。
목차
要旨
1. はじめに
2. 乃木希典の遺書と作品「興津弥五右衛門の遺書」との関係をめぐって
3. 典拠のこと、そして〈遺書〉のこと
4. 「興津弥五右衛門の遺書」における〈変化するもの〉と〈不変なるもの〉
5. むすびに代えて
參考文獻
1. はじめに
2. 乃木希典の遺書と作品「興津弥五右衛門の遺書」との関係をめぐって
3. 典拠のこと、そして〈遺書〉のこと
4. 「興津弥五右衛門の遺書」における〈変化するもの〉と〈不変なるもの〉
5. むすびに代えて
參考文獻
저자정보
참고문헌
자료제공 : 네이버학술정보