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아쿠타가와 류노스케와 관동대지진

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Akutagawa Ryunosuke and 1923 Great Kanto earthquake

조경숙

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초록

일본어

本稿は大正デモクラシーの中で中堅作家として活躍した芥川竜之介が関東大震災の中での朝鮮人に関する流 言飛語と朝鮮人虐殺について如何な反応と姿勢を見せているかを考察するのが目的である。1923年9月1日11時 58分に発生する静岡県・山梨県一部を含めた地域に襲ったM7.9〜8.2という巨大な関東大震災は明治期以後世界 列強の中で日本帝国主義を拡張していく日本の心腸部の首都東京と横浜に破壊的な打撃を与え、一時首都を姫 路なり京都に移動する論議が出るなど首都圏内の機能を麻痺させた大災難である。このような自然災難の中で在 日朝鮮人虐殺事件という人災も起こり、少なくない朝鮮人が殺されるようになるもう一つの災難になる。これらにつ いて日本で日本人の研究者によってはすこしずつ研究が行われているし、また、在日朝鮮人の主な研究者として 姜徳相があり、そして琴秉洞の資料がある。しかし、韓国ではそれほど活発に研究が行われていないし、また、 その研究範囲も限定され、当時文人たちと朝鮮人虐殺についての研究はほとんど見られない。当時文人が朝鮮 人虐殺を如何に受容しているかは彼らの朝鮮認識を考察するに非常に重要な手がかりになれると思われるので、 まず、本稿では芥川竜之介を取り上げ、関東大震災との関わりのある彼の10余編の文章と記録を検討したうえ で、芥川の朝鮮認識を導出することにする。

목차

要旨
 1. 들어가며
 2. 관동대지진과 조선인학살
 3. 아쿠타가와와 조선인유언비어
 4. 자경단 경험과 「어느 자경단원의 말」
 5. 타자조선-『김장군』
 6. 맺음말
 참고문헌

저자정보

  • 조경숙 경북대학교 시간강사

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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