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일본어
日本文学に於ける『荘子』の受容は、近世以前と以降ははっきりと区別される。『荘子』が日本に伝わって間もない時期は、『荘子』を接することが出来る階層も限定されていたし、また『荘子』を読む人も『荘子』を文学の書として接したというよりは、単なる教養書籍として読んだだけである。そのような訳で『荘子』に関する分析と読み方は限界あったに違いない。しかし近世以前は『荘子』はその伝來の当初より排斥される批判があったにもかかわらず教養書として広く流布し、知識人の必読書ともなったのである。 近世は儒教一尊の時代であったのて日本人は老荘の徒と呼ばれることを好まなかったのであるが、学者にしてこの書を読まなかった者はないであろう。また、『荘子』は、甚だ多くの注釈書も書かれているのである。特に俳文学では積極的に摂取せられ、『荘子』の一種傍観的な姿勢や、奇抜な寓言寓意の表現や、すぐれた文章や、思想は言うまでもなく、文学的にも鑑賞されたのである。日本文学に注目すべき影響を与えたことは、人間生活の理想を自然の精神に求めようとした日本人の思想傾向や、恬淡洒脱にして者に拘泥しない国民性の要求に応えてくれたこと、そしてその文章の無碍自在なるところに魅せられたためであったと思われるのである。
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