초록
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本稿で取り上げた問題は源氏物語の須磨巻における光源氏の上巳の祓である。光源氏は父桐壺院の死後、政争に敗れて須磨に退去したが、一年後の春三月朔日に上巳の祓をした。祓の最中源氏が無実を訴える歌を詠むと、突然暴風雨が襲い、嵐は二週間近く荒れ狂った。この場面にはさまざまな問題が論じられてきた。古注釈はこの嵐を周公旦の故事によって説明し、源氏の夢に現れた桐壺院については醍醐天皇堕地獄説話を指摘した。近年では源氏は上巳の祓によって故桐壺院の霊を呼び、住吉神の神意を受ける機会を得たと解されている。また暴風雨についても「無反省な源氏への神の怒り」、「無実の源氏に対する天の感応」、「源氏の罪を洗い流す禊」など多義的な解釈がおこなわれてきた。そういう中でこの暴風雨の表現に大嘗祭の大祓詞との類似性を指摘し、嵐を源氏の王権形成の場であるとする論がある。本稿はこの論を継承する。光源氏は七歳の時に「帝王の相」があると予言され、その後も天皇の父になるという夢占いがあった。源氏物語はそういう光源氏の王権物語の構造を持っている。本稿は須磨の嵐をその文脈において読み解くものである。そのためにまず上巳の祓について『河海抄』の注を手がかりに分析し、次いでこれまで明解を得なかった「三月朔日」と「十三日」という日付の問題を韓国の上巳の祓をめぐる神話を媒介にして検討し、上巳の祓と日付の問題に光源氏が王の資格を獲得する意味構造があることを明らかにする。
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