초록
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アジア・太平洋戦争直後の日本で、一般大衆は戦争責任問題をどのように受け入れたのか。また敗戦という現実に直面した一般大衆は、戦時中の記憶をどのように再編しようとしていたのか。本論は、このような敗戦をめぐる記憶のメカニズムを、井伏鱒二「遥拝隊長」(一九五〇年二月)を通して考察する試みである。 「遥拝隊長」において、戦後の村落共同体は、どのように戦争を捉え、敗戦をどう引き受けたのか。この物語には、共同体自身の責任を巧みに回避する忘却の論理が秘められている。本論は、これを論証するために、まず戦時中の共同体の欺瞞に着目し、その欺瞞がどのように表現されているのか、そしてそれが記憶の再編によって隠されていく様子を探求する。 「遥拝隊長」には、戦時中に一人の青年岡崎悠一が村落共同体の自己顕示のために戦場に送られ、共同体の記憶を構築する原材料となった様子が描かれている。しかし、敗戦後になると、岡崎悠一に対する「臆説」や「噂」などを作り出すという村落共同体の理屈が描かれていくことになる。このような村落共同体の変貌には、過去の記憶を再編しようとする欲望が絡んであったのである。こうした村落共同体の欲望と、帰還兵が語る〈証言〉の語り(オーラル・ヒストリー)は、物語において衝突していく。「遥拝隊長」が表象するのは、共同体における記憶と忘却の衝突であり、それは戦後日本における記憶をめぐるもう一つの戦場と言えるものである。
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