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오오카 쇼헤이(大岡昇平)의 『포로기(俘虜記)』론─점령 하의 시대인식과 전쟁책임인식─

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김효순

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초록

일본어

大岡昇平の『俘虜記』は1940年代、占領下時期の日本社会の実態を俘虜収容所の描写を通じて風刺的に批判した作品である。ここで大岡が批判の対象としている1940年代占領下時期の日本社会の実態、あるいは俘虜収容所の様子は、個人が国家という巨大な暴力組織に対してどのように立ち向かわなければならなかったのか、という問題に集約できる。占領下の日本社会とは、アメリカが施してくれる物質的な豊饒さと民主主義という恩寵を無批判的に受け入れ、過去の戦争への郷愁と未練、そして占領軍への諂いが満ちわたっていた時期である。このような雰囲気で、運命に対する個人の責任は隠蔽され、過去の戦争に対しても国家や軍部、天皇の責任だけが浮彫りになっていた。 しかし、大岡昇平は自分の意志に反して戦場に駆り出され、俘虜になって生還した自分の運命に対して、自分自信の責任を厳しく追究する。このような態度は上述した、自分自身の運命に対して、国家や軍部、天皇に責任を転嫁し、個人の意志や責任は隠蔽し被害者としての運命だけを語ろうとした、占領下社会への徹底的な反省と批判意識から來たと言える。このような大岡の問題意識と態度は、韓国をはじめとするアジア周辺国に対して日本が負うべき国際的責任や日本国民に対して日本政府が負うべき国内的責任だけ取り上げられて、日本人であろうとも韓国人であろうとも個人の責任は忘却し各々被害者としての立場しか語ろうとしない現在にもあいかわらず意義があると思う。 ただし、大岡が厳しく追究しようとした、運命への個人の責任は偶然性、人間の本能、神の摂理といった人間普遍の問題に帰する。過去の戦争への責任が人間普遍の問題に帰すると、自分の意志と関係なく戦争に参加した日本兵に戦争の加害者としての責任を問う根拠はなくなるであろう。その恐れは、大岡の作品が1990年代以後の日本の保守主義の言説に利用されることで現実となってしまった。もちろんそれは大岡の意図ではないにしても、今日の読者としては十分注意を払い、警戒しなければならない点だと思う。

목차

要旨
 1. 들어가는 말
 2. 집필시기와 점령 하라는 시대상황
 3. 포로수용소내 상황과 점령 하 상황
 4. 마후지의 운명과 ‘나’의 운명-우연과 필연
 5. 전쟁 책임-개인의 책임과 국가의 책임
 참고문헌

저자정보

  • 김효순 고려대학교 일본연구센터

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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