초록
일본어
本論文は、西洋から受容された告白文学がどのように日本に広がっていったのか、そして、その後文学青年である森田草平にどのような影響をあたえ、彼の創作へと発展していったのかを考察したものである。特に、大きな影響を与えた夏目漱石との影響関係を視野に入れて考察した。 明治四○年前後、日本において、すでに形成されていた告白という文学形式は、ルソーの『懺悔録』に影響、そして自然主義文学者の代表者である島崎藤村と田山花袋などの告白に対する認識などによって支配されていた。こうした告白文学は、単なる「懺悔」ではなく、利己と弁護を目的とした、平凡な自己(個人)の心理現象の白状であると認識するようになった。このような認識から、自己表現としての「コンフェション」の文学という文学ジャンルが、形成されていったと思われる。こうした告白文学は、当時、文学を目指す文学青年森田草平を大きく刺激したのである。 特に、文学志望青年であった森田草平は、漱石から「コンフェション」(告白)と「コンフェションの文学」(告白文学)なるものに対する認識を深めるとともに、「コンフェションの文学」を作家当事者の自己表現や自己救済策として認めるようになった。それと同時に、自然主義の代表者である島崎藤村の『破戒』と田山花袋の『蒲団』の告白文学の成功を目にした森田は、創作方法として告白文学を目指すようになり、煤煙事件の体験による告白を『煤煙』に実行し、当時告白文学の最高峰といわれるようになったのである。こうした森田草平の告白文学は、西欧の影響や大文豪などの導き、そして煤煙事件の特殊性によって明治四二年の一時期を風靡したものとなっていたのである。
목차
1. はじめに
2. 文學靑年の登場と森田草平
3. 告白に對する認識
4. 漱石に進められた「コンフェションの文學」
5. 『煤煙』における告白
6. まとめ
参考文献
