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「おいでになる」와 「行かれる․来られる」의 사용상의 기준― 신약성서(신공동역)의 4복음서를 대상으로 하여 ―

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The Comparison in Usage between Oideninaru and Ikareru / Korareru in the Four Gospels of the Newly Translated Japanese Version of the New Testament

李成圭

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초록

일본어

本稿では「おいでになる」と「行かれる」、「おいでになる」と「来られる」を対象として、敬語動詞と「レル」型の敬語の使用上の基準を検討することにより、李成圭(2010a)で行った研究方法が果して適切であり、その検討内容が妥当であったかを考察した。本稿で考察した内容を簡単にまとめると、以下の通りである。1.「行く」においては尊敬語形式として「おいでになる」と「行かれる」が使われており、前者は対話文、後者は地文といった区分が先ずなされているが、待遇関係や文体的な要因等を勘案した場合には、対話文の場合にも「行かれる」が使われているという使用上の基準が認められる。2.「来る」においては尊敬語形式として「おいでになる」と「来られる」が使われており、その使用の実態は「おいでになる」と「行かれる」のそれと比べやや複雑に展開されているが、基本的には<イエス>の移動について対話文では「おいでになる」が、地文では「来られる」が尊敬語表現として使われているという点では「おいでになる」と「行かれる」における使用上の基準と一致する。一方、預言者の言葉を引用した文脈や、イエスが用いた引用文に「おいでになる」が使われ、群衆の叫び声や、ヨハネがキリストを誉め称える場面、そして救世主の再臨といった甚大な事件を扱う場合には、伝統性かつ慣用性を反映して「来られる」の表記を選択的に使っているといった点が特徴的である。以上の考察内容は、李成圭(2010a)で「言う」の尊敬語形式である「おっしゃる」と「言われる」を対象に行った使用上の基準が有効であることを立証する。

목차

要旨
 1. 들어가기
 2. 문제 소재 및 본 논문의 입장
 3. 「おいでになる」・「行かれる」의 사용상의 기준
  3.1. 「おいでになる」의 사용실태
  3.2. 「行かれる」의 사용실태
 4. 「おいでになる」와 「来られる」의 사용상의 기준
  4.1. 「おいでになる」의 사용실태
  4.2. 「来られる」의 사용실태
 5. 맺음말
 参考文献

저자정보

  • 李成圭 이성규. 仁荷大学校 文科大学 東洋語文学部 日語日本学専攻 教授, 日本語学

참고문헌

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