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「物」は芭蕉と莊子とのかかわりに關して論じる時、先ず欠かせない大事な言葉の中の一つである。勿論、芭蕉と莊子の文章の中にも例外なく樣々な形で登場している。しかし本稿で注目したいのは、「物」がもつ多くの意味の中で、ふだんはあまり使わない「物」の特別な意味を芭蕉と莊子は彼らの文章の中で大事な意味をもたせて用いているところである。莊子において「物」は汎神論的に考えられ、造化の作用が、人間の意識にとらえられるように現象化したものが「物」である。「物」は、それ故單なる物質、物体だけを指すのではなくて、人間の意識、心情を含めた物的精神的なあらゆる存在するものをさし、そしてあらゆる存在するものを存在せしめている宇宙の物体的生命の現象的顯現であるとみられる。芭蕉の俳諧世界での「物」は、より美しいうたを求めようとする詩人の魂と、新しい詩の境地を求めている詩人の心と意識世界などをあらわしている。芭蕉の作品からうかがえる「物」は、大変特徵ある存在であるといわざるを得ない。これは自然という環境にかこまれながら步み切った芭蕉の旅の人生こそ彼の新しい俳諧の世界を求める求道者のような心境を現實化する實踐への過程であったといえる。『莊子』の「物」は、人間の精神的世界と意識、心情、魂などをあらわしており、芭蕉の「物」は、人間の內面世界に於ける精神世界、より究極的なうたの世界を求める詩人の魂、詩心などを意味している。このような「物」の意味を芭蕉がはっきり定立するまでには、禪の影響や伝統的な日本文学からの影響、そして芭蕉が当時かなり心醉していた『莊子』からも甚大な影響があったことは搖るがない事實であるといえるであろう。
