원문정보
초록
일본어
内村鑑三(1861-1930)の天然観は、たとえば『空ノ鳥ト野ノ百合花』(1883)に見えるように、初期には目に見える「天然の美」を賛美する表面的なものであった。そしてまもなく「天然物は心霊の示現である、心の物に顕はれたものが天然である」とした初期の天然観は『近代における科学的思想の変遷』(1910)における「喜的宇宙観」に要約される。すなわち、希望的宇宙観であり、天然観であるといえる。その後、最愛の娘、ルツ子の死に直面してから内村の天然観は次第に天然の裏面ないしは内面を見る方向に転換するようになり、そのような彼の変化を示してくれるのが『二つの神』(1912)、『神と天然』(1912)、『万物の復興』(1918)などの作品である。特に『万物の復興』では、彼の天然観が「全人類全宇宙と運命を共にする」運命共同体としての宇宙観、天然観、宗教観に到達したことを語ってくれる。そして晩年の『羅馬書の研究』(1924)に至って、内村はついに天然の呻きに耳を傾け天然との話し合いに成功する。この話し合いを越えてさらに最晩年の『人と天然』(1929)においては、天然を徹底的に相対化、客観化してそれを超越する境地に達する。その過程のなかで「天然に対して採る態度」ー「之に服従すべき乎、之を征服すべき乎、之と妥協すべき乎」に悩んだすえ、征服することを決心する。内村の選んだ「征服」とは他ではなく、「肉と其情とを十字架に釘けて、此身に在りて大天然を征服する事」、つまり自分を捨てて天然に自らの身と心を委ねることであった。偶然なのか『人と天然』を書いて3ヶ月後、内村鑑三はこの世を去っている。内村の天然征服の真の成敗は、日頃心より待望してやまなかった自分自身の復活の日、果たしてイエス․キリストの例のように証明されることになるだろうか。