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초록
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本稿は、上代和歌史における「実在の歌」から「観念の歌」への移行のあり方を大伴家持歌に即して考察したものである。繊細な感受性の持ち主である家持は、慰めきれない孤独を癒すために、「うた」という器を用いて、絶えず「現実の苦や愛や願望」を歌わざるを得なかった。そのような詠歌の世界は、「現在」と「過去や未来」を行き来しながら思惟の中で生まれるものであり、抽象や空想の中に存するものであった。それは、現実から遊離して思弁に耽けることを好み、現実を意識の中でのみ再構成しようとする態度によって求められる観念の世界である。そのような世界が具現された歌が、実景を心象の景に移し変える「依興歌」であり、現在の希求を未来につなぎ止める「儲作歌․予作歌」であり、過去の素材․空間․事柄から現在の心情を照らし出す「追和歌」であった。そして、宮廷讃歌仕立ての儀礼歌においては、実存としての「大君」に「神ながら」を冠し、さらに神としての皇統の悠久性を本質とするスメロキ(皇祖)の観念性をそのオオキミ(大君)に融合させたのである。現実的な成就は望めず、観念の儀礼歌をもって自己充足を得たのだろう。このような「観念」に頼り「観念」の中で意味を持つ作品は、家持が越中守に赴任した翌年の春、天平19年(747)2月頃から登場する。特に文芸的意欲に満ちていた2月20日(巻17․3962歌)から3月5日(3977歌)までの独詠歌及び一連の贈答歌群を境に、それ以後は上のような独創的な様式の歌が積極的に試みられるのである。これらの方法的な試みが「観念化」の営みであり、家持の方法的試みによる「歌の観念化への道程」は、そのまま上代和歌史における「観念的な歌風の現出と移行」を意味するといえよう。
목차
1. はじめに
2. 依興歌-実景から心象へ-
3. 儲作歌ㆍ予作歌-現在から未来へ-
4. 追和歌-過去から現在へ-
5. 宮廷讃歌-天皇神格化表現の観念性-
6. 終わりに
参考文献