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其角は蕉門隨一の高弟で、芭蕉も推重し蕪村も畏敬した。しかし、その評価は必ずしも一樣ではない。芭蕉にとって其角は自己の作風を拓いていく上での、一つの標識であったのであって、其角はその句作活動の初期から、芭蕉に拮抗する感性であったのである。芭蕉と其角とを比較すると、確かに、片や漂泊の詩人、片や定住の詩人であり、また一方は素朴な田園趣味に多く詩材をとり、他方は生粹の江戶っ子らしく、「鐘一つ賣れぬ日はなし江戶の春」に代表されるように華やかな都會趣味の句に生彩を放ったのであった。芭蕉が推敲に推敲を重ねて少しでも高い詩境を目指そうとするのに對し、其角は卽興吟を得意とし、当意卽妙の機知をもって同席する人たちを感心させるのであった。また、師が高点を競う遊戱的な点取俳諧を嫌って自在な生き方に徹したのに對し、弟子は江戶俳壇にあって堂々点取宗匠として君臨したのであった。結局、蕉門の門弟の中で最高のレベルの高弟とも評された其角は、このように、師匠との俳諧に對する見解の差と樂しみ方の違いによって、芭蕉とは異なる俳諧世界を求め步むことになったのである。芭蕉にとっては、門弟のだれよりも俳諧に秀れた才能をもっており、理解をみせた其角との不和は大変殘念な出來事に違いなかったであろう。そして芭蕉と其角のわかれは、芭蕉の死後、蕉風俳諧の分裂を始め、蕉風の確立と發展にも妨げのひとつの原因にもなったのではなかろうかと思う。
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