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초록
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第三章では、朝鮮時代後期の政治家․尹行恁の『碩齋稿』巻九「海東外史․朴延」条所収の一節、「昔有蝦夷国松前人世琉兜宇須者。漂留耽羅二十余年。至万暦壬辰。為倭嚮導」(昔、蝦夷国の松前の世琉兜宇須という人がいた。耽羅に漂着して二〇年後の万暦壬辰年(一五九二)に至り、倭の嚮導となった)といった謎の文章の起源を追跡する。その結果、日本の壬辰戦争文献群、特に、加藤清正文献群において形成された、「加藤清正が「セルトウス」という武将を生け捕った後、「せいしう(さいしう/済州)」というところに至って、松前から漂流してきた後藤二郎を通訳に任命し、富士山を見渡した」という言説が、一八世紀はじめに成立した『和漢三才図会』のなかで変容された形で朝鮮国に紹介されたことが確認される。それによって、壬辰戦争の際の朝鮮軍の武将․韓克諴(はんぐっかん)がモデルとなったと思われるセルトウスが、松前から耽羅=済州島に漂流してきて、一五九二年に日本軍の手先となった、という皮肉な記述が、『碩齋稿』に載せられることとなったのである。
목차
要 旨
1. 들어가며
2. 윤행임 『석재고』권9「해동외사」「박연」조의 분석
3. 가토 기요마사 문헌군과 『화한삼재도회』수록 기사
4. 나가며
참고문헌
1. 들어가며
2. 윤행임 『석재고』권9「해동외사」「박연」조의 분석
3. 가토 기요마사 문헌군과 『화한삼재도회』수록 기사
4. 나가며
참고문헌
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