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초록
일본어
源義経は、その活躍の鮮烈さと不遇の晩年、悲劇的な最期から、古くから多くの人気を集め、日本史上最も有名な英雄の一人に挙げられている。しかし、悲運のヒーローとして美化され、愛されてきたその一生は今もまだ謎に包まれていて、特に義経の成長期と末年の状況を確認できる客観的な文献や記述は殆ど残されていない。しかもその存在を捉える期間は頼朝の幕下に参陣し平家追討の合戦に従軍した2年間だけで、平家を滅ぼした後、兄に疎まれ、非業の死へと追いやられていく詳細は書かれていない。義経に関係する伝説・伝承・口碑は各地に数多く残っている。その集録ともいえる『義経記』をはじめとして、中世の御伽草子、能・幸若舞などの芸能から、近世に入っての浄瑠璃や歌舞伎、戯作に至るまで、義経伝説は日本の文芸に様々な素材を提供した。特に頼朝との葛藤により勢力を失っている時期(失意時代)の危難を描いた作品群はその量的・質的な意味において「判官贔屓」の情緒を刺激する判官物の核といえる。その中でも能の台本である「謡曲」として多くの義経文学と伝説が劇化され、当代の観客を魅了し、新たな生命力と人気を得て、そしてまた新しい判官物や義経伝説を派生あるいは転生した。後世の文芸に与えた大きな影響と、日本の古典演劇の基本を確立し、現代にもなお発展し続けている能の生命力を考えると、能における判官物の研究は、義経文学全般の理解においても重要なポイントの一つではないかと考えられる。失意時代の義経伝説において最も注目すべきポイントは、義経の柔弱化・貴公子化と、それと反比例するような形で、家臣や愛妾など周辺人物の活躍が目立つようになっていくことである。頼朝に追われ吉野の山中に潜んでいた義経を山僧の来襲から逃がすため、忠信が自ら義経と称して奮戦したという、能〈忠信〉が原拠としている忠信身替伝説も同じ脈絡から理解できる。しかし、能〈忠信〉は、一般に広く知られている忠信身替伝説、もしくは同じく義経の困窮を素材とした他の伝説・文芸から見られる判官贔屓的感情とはかなり異なる趣向で描かれている。本来この伝説の意義は主君を守るために自分の命をかける家臣の「忠義」と考えるべきだろうが、『義経記』などの内容を比べてみると〈忠信〉にそういう君臣の絆のようなものはあまり強調されていないということがわかる。実際この曲の見所は忠信が吉野の衆徒と斬り合う視覚的な楽しさにある。むしろ重い感情をあえて絡ませず、あっさりと流していく、やや情味に乏しい淡白な印象を否めない。判官贔屓な所を刺激するように工夫された伝説を典拠にしている作品としては珍しい。そして一見単純そうに見えるこの曲には、一般的な「判官贔屓」の趣向の伝説や文芸とは別の視点から、失意時代の義経の人物像を強化、正当化しようとした試みが伺われる。その登場人物の配置と性格を探りながら、本曲の創作意図について考えてみたいと思う。
목차
1. 들어가며
2. 요시쓰네의 주체성
3. 요시쓰네의 정당화
4. 다다노부 ―― 또 하나의 요시쓰네
5. 맺음말을 대신하여
참고문헌